


25/05/11 文学フリマ東京40

文学フリマ東京40に出展します

【著者】視葭よみ
【あらすじ】
ある夏の早朝。警察からの電話で白河由弦が告げられたのは妹・六花の死亡だった。友人との二泊三日旅行を楽しんでいるはずの彼女に何があったのか……混乱する由弦に追いうちをかけるのは、遺体に残された明らかな他殺の痕跡、刑事の「事件と自殺、両方の視点から捜査している」という返答、そして後日の偏向報道……絶望の中、由弦は自らの手で妹の死の真相を掴み取る決意をした。追い求めるのはただひとつ――なぜ白河六花は殺されたのか?
【販売】
文学フリマ(福岡10、東京39)
試し読み
1
白河由弦は困惑した。年齢の半分以上はスイス暮らしとはいえ、幼い頃から母親の使う日本語によく親しんでおり移住してからは専ら日本語とともに生活してきた。その甲斐あって電話の内容は問題なく日本語として一言一句すべて聞き取れていた。
相手の声が小さく早口だったわけでもない。むしろ気遣うような慰労と申し訳なさが込められていた。ゆっくり、はっきりとした女の声に聞き覚えは皆無だった。しかし間違い電話として切れなかったのは最初に「白河六花さんの御親族ですか?」と尋ねられたためだ。
それは、満月が役割を終えて太陽に空から追い出されたころの非常識な電話だった。妹からの電話でなければ舌打ちでもしていたが、ため息に留める。着信を承諾する黄緑色の受話器アイコンをタップかスライドかよくわからない触れかたをしてスマートフォンを耳に押し当てた。「なんだ、どうした?」だったか「もう寝ろよ、何時だと思ってんの?」だったか、あくび交じりに何かを言った。
直後、右耳の鼓膜を振動させている声が自分よりも数回りほど年齢を重ねた女性のものだと認識して、ようやく相手が妹では無いのだと把握する。
途端に、頭上から冷水を浴びせられたごとく目が覚めた。しかし回りかけの思考では、最後の「――と申します」だけまともに聞き取るのが精一杯だった。相手はただ名乗っただけだろうか、意味もわからず「はい」と答えてしまう。
何拍か間をおいてから聞き逃したものを聞き返せばよかったと思い至り、口を開こうとした。すると、相手は「シラカワリッカサンノゴシンゾクデスカ?」そう続けた……シラカワリッカ、サン、ノゴシンゾク、デスカ……白河六花、さん、の御親族、ですか……ゴシンゾクが御親族であると理解する。
同時に、なぜ尋ねられたのか考える。兄だから御親族に含まれるとはいえ、なぜ知り合いや友人ではいけないのだろうか。理由がわからなかった。
今すぐにでも通話を切ってしまいたかった。
切ってはならない理由もわからなかった。
しかしながら由弦の声帯は震えて「はい」と返事をしてしまった。唇を引き結ぶ代わりにただ相手の言葉を待つ―― 続けられたその言葉が何を意味しているのかよくわからなかったが、再び「はい」と返してしまった。数秒後、我に返り、改めてもう一度繰り返してもらわねばならない気がした。
「…… みません、もう一度…… あの…… すみません」
どうにか言葉にできる単語の羅列を試みる。
何を伝えたいのか、何を知りたいのかすらわからない。
さりとて、もう一度同じ文言を聞かせてほしかった。無意識下の働きだろうか、聞き間違いではないことだけでも確かめずにはいられなかった。それ以上に、聞き間違いであってほしかった。
電話先の女性は再び似たような口調で同じ内容を由弦に突きつける。
「白河六花さんの御親族ですよね?」
「はい、六花は妹です」
「本日未明、白河六花さんと思われるご遺体が発見されました。御親族にご確認いただきたく思うのですが―― 」
その先は意識に引っかからなかった。
わからない。
最初に自覚したのは、わからないという事実だけだった。あくまでも可能性の提示をされているのか、確率を確定させるための確認なのか…… 否。前提として六花からの電話だ。内容以前に六花のスマホが用いられて連絡が寄越されているのだ。すでに限りなく信じたくない可能性を突きつけられている。
しかしながら奇妙なほど感情は鎮まっている。
何も感じていないと錯覚するほど、由弦は自らに困惑していた。取り乱せていない心配すら抱いている反面、電話先に何度か肯定を返しながら、かろうじて困惑しているなら心が壊れたわけではないのだろうと推察して安堵している奇妙さには気づいていた。
不意に妹とのやり取りを思いだす――
つい先日だ。ノックに気がついて視線を向けると、小さく開けられた扉の影から顔だけ見せる六花の姿があった。
「兄上ぇ、リュックサック貸してくださいませぬか?」
普段は「兄上」などと呼ぶことはない。古文のような奇妙な語尾も使わない。あくまでも彼女なりのおねだり作法である。
「なんで? 持ってるだろ?」
わざと冷たくあしらう。すると、扉が緩やかに開け放たれる。
その奥にある廊下の薄暗がりにて。六花はスポットライトをひとり占めにする舞台俳優ごとく気障に壁に寄りかかっていた。
「ああ、兄は利口だ。うぬぼれているが良い。私はちゃんと借りる覚悟でいるのに。自分のリュックは決して壊していない。ただ……ただ、私に情を掛けたいつもりなら…………何だっけ?」
愛想笑いでは誤魔化しきれないトチリだが、畑違いの由弦からすると指摘する優先度は低い。構わず「いつ、誰と、どこへ?」と、端的に知りたい情報を求める。
「終業式の後、我は友とともに新幹線へ参るのでございます。二泊三日ゆえに大きめのリュックサックが求められるのです」
「それで?」
「返却までに三日間の日限を与えてください。たったひとりの妹は、友とともに二泊三日旅行へ参りたいのです。三日のうちに、私は旅行を全力で楽しみ、必ず、ここへ帰ってきます」
調子を取り戻しつつある六花の口上を聞き流しながら、彼女が愛用するリュックサックの大きさや意匠を思い出す。
なるほど、彼女が中学生のころから外出時よく背負っている桃色のリュックサックには、一泊ですら入りきらないだろう。一方、由弦のリュックサックは大学進学を期に買い替えて数か月ほど。ほぼ新品同様であり容量は相応だ。唯一、懸念としては、十六歳の女の子が持つには少々無骨なことくらいだ。それでも、見たことがあったうえで頼んでいるのだから気にしないことにした。
演劇部でもないくせにそれらしい所作を見せる妹の、次のセリフを待つ。
「私は約束を守ります。私を三日間だけ外出させてください。友が、旅行に誘っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、私の部屋のベッドの上にテディベアのシオンがいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いていこう――ちょっと取ってくるね、待ってて」
すべての仕込みを済ませたから件の作品になぞらえた演技を交えて要求を提示しているのだろうと思っていたが、どうやら違ったらしい。急展開についていけず廊下に響く軽快な足音を効果音にしてぽっかりと開いたステージを呆然と眺めた。
曖昧な笑みが零れて、机に向きなおり、ノートパソコンを開いて起動させておく。案の定、妹は白いテディベアを抱えてすぐ戻ってきた。
「アドリブだったの?」
「瞬発力で生きてるから!」
「はいはい…… いつ帰ってくるんだっけ?」
「三日目の日暮までに」
「だとさ、セリヌンティウス」
「変な名前つけないでよ」
引き渡された人質を机に乗せ、六花にパソコンのスクリーンを向けた。リュックサック、レディース、使いやすい―― それらしい言葉を検索欄に並べた通販サイトの結果を見せながら由弦は言葉を続ける。
「好きなデザイン、あるよね? 終業式前には余裕で届くよ」
「それは、そのー…… お小遣い、足りなくて、えへへ」
「いらないの?」
「今回はいいや」
「誕プレでもいいのに」
「だったらコスメ欲しいな。あのね、今欲しいのが」
「はーい、じゃあまた今度」
スマホをいじりだした妹をあからさまに遮ると不満が込められた声で抗議される。構わず進行方向にいる彼女を数歩ほど右に動かした。由弦は、クローゼットからリュックサックを取りだす。念のため、すべてのポケットが空であることを確かめて、
「楽しんでこいよ」差しだしながら告げた。
「うん、ありがとう!」
受けとるとともに六花はとびきりの笑顔を残して退室した。
が、直後、再び顔を見せた。
「ねえ、お土産どうする?」
「思い出話」
「了解、ディオニス!」
片手を頭の高さに掲げて了承を示すと、今度こそ足音は廊下に溶けていった。
由弦は、眼鏡のアーチを親指で押し上げる。首を傾げるまではしないものの、何が引っかかったのか思考を精査しながら、ぼんやりとした足取りで机まで戻った。開いたままのパソコンのスリープを解除すると、なり青空文庫で『走れメロス』を確認した。本文を画面いっぱいに表示させるとスクロールするまでもなく目に入ったその名前を認識した途端、頬が緩んでしまう。が、すぐに誤魔化すように舌打ちした。
せっかく要求を飲んでやったのにその名で呼ぶなら暴君のように行くなと手のひらを返してやろうかと思い浮かんだが――やめた。早生まれの十六歳だったら宿題や勉強を優先するよう言い含めてでも止める必要性が生じていたかもしれないが、まだ高校一年生の夏だ。幸い心配にかられるほどの成績を取っているわけでは無く、何より由弦は六花が自分から友人と旅行へ行きたいのだと言ってくれたことに安堵していた。
我慢を避けられない環境もそれを変えられない事情も、きっと理解している。理解した上で、お互い半年前とは比べ物にならないほど晴れやかな余裕がある今、このタイミングを狙ったのだろう。
無邪気さに欠ける配慮は気に入らないが、何もかも内に蓄積させて元気にふるまわれるよりはよほど健全だ。
由弦は机に落書きされた黒鉛のうさぎに目を細めた。助けを求めて兄の部屋を訪れたくせに持参した冊子を開くなり勝手に自己解決して、お礼にと残して去ったのが数か月前のこと。摩擦で容易に跡形もなくなるだろうが、邪魔になるわけでは無いから積極的に消すつもりは無かった。
六花が絵を描くのが好きであると知っている。それこそ幼いころは色鉛筆やクレパスなど筆記用具に強くこだわっていたが、いつの間にか紙とペンさえあれば絵を描くようになっていた。趣味と呼ぶにはどこか描くことに固執しているようにも見えたが、ゲンにとっての読書と同じだよ、と指摘されて納得した。だから高校進学のお祝いには、ボールペンとトラベラーズノートと画用紙のリフィルを贈った。
以来、絵を見せながらその日あったことを教えてくれるようになった。口先では軽くあしらう由弦だが、妹の報告を心待ちにしていた。内容もさることながら少しずつ上達していくイラストを見るのが楽しみだった。道端のタンポポも放課後の教室もインク一色で描かれた。旅行のお土産話を求めれば二泊三日分のイラストはどれほどの数に上るのか…… 想像するだけで待ち遠しかった。三日目の日暮れを心待ちにしていた。
―― 由弦は壁に背を預けると、滑らせてしゃがみこむ。
その拍子に手の甲をフローリングに打ちつけたらしく、じんわりと熱が集まっていくのを自覚する。昨夜から開けたままだったカーテンが柔らかく風に揺れる。
遠慮なく入ってくる陽光は視界を白くするほど眩しかった。