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  • 物語に忠実な物語を作るということは

     2026年2月上旬ということで、お久しぶりです。安条序那です。

     前回のコラムの話をするといつかわからなくなってしまいますね。かくも時間とはこんなにも早く過ぎてしまいます。

     今回は新生ミス研のコラムですが、なんでもいいよ! と庵字さんから言質を頂きましたので、映画に関するコラムを一本、書かせていただきましょう。

     とはいえです。こういうものって選定が難しいですよね。

     みんなが絶賛した、全米が泣いた映画をレビューしても仕方がないわけで。

     だって悪いとこ見つけて書いても論っているだけですし、そういうのって求められてないですよね。提灯記事みたいなモンじゃないですか。それだったら折角なので賛否両論ある映画の話をしましょうよ。

     ちなみに最近見た中で一番面白かった映画は閃光のハサウェイ、キルケーの魔女です。めっちゃ良かったです。みんな見てね。

     さて本題です。今回選定したタイトルですが、え? 今これの話すんのって映画を選定しました。なんだと思います? 時間稼ぎみたいな長い空白も取るつもりはありませんから、もう言ってしまいますが。

    『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(2024)です。

     このタイトル、名前だけならよく知っている人もいるのではないでしょうか。そうです。バットマンの悪役。『ジョーカー』にフォーカスを当てた、言うならばディズニーのヴィランシリーズのようなものです。フォリ・ア・ドゥは二人狂いという意味です。この作品にはジョーカーと対になるヒロイン、ハーレークイーンが出てくるのです。ホアキンフェニックスとレディガガの共演、まあ豪華ですね。

     この作品は先の『ジョーカー』(2019)の続編です。続編のレビューだけをするという奇妙なことをしている理由は、前述した『絶賛された映画のレビューをしても仕方がない』の一点に尽きるからです。『ジョーカー』(2019)は百人が見たら九十人くらいはその世界に圧倒される、文句の付けようのない名作なのです。

     これはどういうことかというと、この作品はダークヒーローというものの描き方について余りにも斬新かつ実直、誰も想像しなかった切り口から語られる残酷で真摯な物語だからです。薄っぺらい小悪党ではなく、『悪と自覚することが出来ない環境にあった人間』が善と悪の天秤から零れていく様を如実に描いた意欲作で、ジョーカーというキャラクターが持つ『ピエロ』という悲しく楽しい属性を、余すところなく出力した豪華な作品なのです。道化師という存在の根本的な意義から導き出される内面を、丁寧に描いています。

     さて、そんな前作の評価は、amazonでは5点中4.2点、映画.comでは5点中3.8点と、高評価、面白いんですね。本当に面白い。僕も軽く十周くらいはしています。

     ではフォリ・ア・ドゥは? amazonで5点中3.1点、映画.comでは5点中3.2点と、前作よりも有意に低いですね。まあ二作目は駄作になりがちという部分は、間違いなくあるものですが、この作品の評価はかなり真っ二つです。評価5と1が乱立してる感じ。前作が陰鬱でありながら明快で爽快感のある終わりであったのに対して、今回のフォリ・ア・ドゥは、ものすごく暗い話です。徹頭徹尾暗い。そして徹頭徹尾、真摯すぎる。

     はっきり言ってエンタメ作品としては、失敗していると言わざるを得ません。シーンは常に暗く、裁判所と刑務所の中でジョーカーが思ってもいないことを言えと只管強要される陰鬱なシーンが連続し、時折挟まれるミュージカルシーンはただジョーカーが情けないばかり。ジョーカーは革命家のように扱われながら、ずっと自分はそうではないという自分のイメージに困惑し続けている。そんなコマばかりが流れ、最後まで救われない。転落を無意識に選び続ける画だけが流れていく。この映画は、涙が涸れたところから始まる、茨の道を裸足で行くような苦しい映画なのです。

     だとしたら、なぜ私がその映画を選ぶのか、そろそろ前振りに紙幅を割きすぎて居ますから、その話をしましょう。

     私のこの映画の評価が5点中5点、満点だからです。

     まず簡単な説明をします。

     今回のジョーカーは軽度な知的障害を持つ二重人格を患った男です。名をアーサー、アーサーフレックと言います。妄想性の精神病の母親を持ち、父親も分からず、けれど本人はコメディアンになって人を幸せにしたかったというような。けれど不幸なボタンの掛け違いで母を殺し、暴動のシンボルとなってしまった彼は、自らも狂気の中に居場所を見つけ、その人格を受け入れていく――というのが大枠の、今回のジョーカーの特徴です。(ジョーカーというキャラクターは、見た目以外の統一性が無いことが特徴のキャラクターです。バットマンという正義の対極の位置に存在するキャラクターなのです。一人で信じ貫く正義というヒーロー像に対して、ジョーカーは有象無象から発生する悪の魍魎の一匹に過ぎません)

     彼は前作の罪を償う為に刑務所に入れられ、裁判を待っている、その中で弁護士が彼に『自分は精神病で責任がない』と言え、と迫られるシーンからこの映画は始まっていきます。劇の始まる前、簡単なカートゥーンが流れ、二人のジョーカーが一人の身体を取り合って喧嘩を様子が流れます。彼は現実のあらゆる場所でさげすまれ、恐怖されています。しかし刑務所の中では彼は革命家の有名人なのです。多くの人を死に追いやった暴動の主導者でありながら模範囚である彼は、ある時刑務所の更生プログラムの中で、女性と知り合います。それが前述のハーレークイーンなのですが、彼女はジョーカーに会うためにこの更生プログラムに潜り込んだ下心ある存在です。悪のカリスマ、ジョーカーが好きなのです。そこにいる情けないアーサーフレックではなく、彼が酷く傷付いて現れる人格であるジョーカーが。彼女は手を尽くして、アーサーをジョーカーに戻そうとします。彼をどうしようもない場所へと追いやりながら。ジョーカーは軽度な知的障害がありますから、彼女の巧妙な手に全て掛かってしまう。その度にアーサーは傷付き、ジョーカーは現れる。けれどジョーカーが現れて悪逆を示す度、その内側でアーサーは自己が本当は誰なのか、自分は何者なのか問う――まるで悪夢のような螺旋がこの映画の内臓と言える部分です。

     そうです。この映画は内容がエンタメ映画ではなさすぎるのです。挟まれるミュージカルシーンで飾ってはいますが、その内容も只管にジョーカーが苦しみ喘ぐその嗚咽のような内容です。恐ろしい程内省的な映画であり、自分というものの居所を決められないアーサーが自分をどうにか定義する、それまでの道のりなのです。おまけに二時間ある。

     これを劇場で見た人はどんな気持ちだったのか、僕には想像がつきません。はっきり言って僕のように一つの映画を何度も見直す人間でないと、この作品はあまり評価できないでしょう。ただ弱いものが虐げられ、ようやく手に入れた居所をこっぴどく簒奪される酷い映画を何度も見たいとは思わない、普通の感性です。

     だからこそ私は言いたいのです。この映画を『出そうと思った』すごさを。

     前作のアーサーは悪のカリスマとして絶頂を迎え、自らに絡みついたしがらみと、突発的に笑ってしまうという障害を乗り越えて己を確立して終わりました。善では生きられない人間に悪という居場所を与えることで、自己の存在を悪であると定義、安心させる終わり方です。悪のカリスマ万歳!

     そうです。その路線でフォリ・ア・ドゥ出せばきっと成功したでしょう。ハーレークイーンとジョーカーが組んでゴッサムシティは焔の海! 全員死ね! そういう内容ならきっと評価は高かったはずです。けれどしなかった。

     前作から一転、この映画は、一作目の逆転なのです。自分が悪のカリスマだったのは、あの一瞬だけだった。悪のカリスマであり続けること、それを選択できるほど強かったなら、そもそもジョーカーという存在が生まれなかった。そういう逆転の因果を丁寧に丁寧に、自ら階段を下りていくという逆シンデレラ曲線なのです。

     控えめで優しく、それでいて笑顔が好きなアーサーと、全てが嫌いでただ狂乱と怒りで飾られたジョーカー。

     フォリ・ア・ドゥという言葉は二人狂いという意味であるお話はしましたね。

     私の見立てでは、この二人というのは、アーサーとジョーカーのことなのです。ハーレークイーンはただの外的要因であり、狂っているのはアーサーだけなのです。アーサーがただ一人、狂い続けている。ジョーカーという己の為に。

     前作、今作とジョーカーには通底してフランクシナトラの『That’s Life』というテーマが当てられています。この曲の歌詞は、ざっくり言うと、『人生は常に続いていく。自分がいない人生はない、ポーンになったりクイーンになったり上下しながら続いていくこの人生のレースを続けるんだ。もうここから何も人生が動かないなら、このまま丸まって死んでやるよ……やれやれ』というようなムーディな歌詞なのですが、一作目では原曲が、二作目ではレディガガのカバーが使われています。

     そしてここからが面白い部分なのですが、なんとレディガガバージョンでは歌詞が変わっているのです。

     この曲の原曲は最後に『やれやれ』の部分である『My my』という部分を気持ち良く高らかに歌い上げて終わるという素晴らしい構成の名曲なのですが(聞いてください)、レディガガバージョンではこの『My my』の部分が削られているのです。そうです。『このまま丸まって死んでやるよ』で終わってしまったのです。

     そして『My my』が消えてしまったのです。

     二つの『My(私)』が、わざわざ消えたのです。

     はっきりと言いますが、この映画は、映像だけではない映画です。歌詞にも、その物語の構成にも、全てにきちんと意味がある、そういう映画なのです。五感で息の詰まる、不潔で淀んだ人の心の中に飛び込みませんか? 

     私はおすすめしますよ。

     ここまで読んだあなたには、『ジョーカー』二作を五感で楽しむ権利がある。

     ただただ物語に忠実なだけの、陰鬱で身の毛のよだつ、素晴らしい映画体験をしませんか?

     

     それでは、この辺りで失礼します。安条序那でした。


文学フリマの近況雑感

  • 文学フリマ広島8_雑感

    庵字

    開催:2026年2月8日
    入場者数:1,297人(出店者:464人・一般来場者:833人)
    無料配布:用意90部 配布部数90部 配布率6.9%(配布数÷入場者数×100)

     新生ミステリ研究会の広島初出店でした。これまで出店してきた文学フリマにおいては、幸いなことに天候に恵まれ続けていましたが、今回の広島は雪。しかも、イベント開催の8日朝から夕方にかけてのみと、狙ったかのような降雪に見舞われました。まさか2月の広島で雪とは想像だにしていませんでした。
     イベントも明らかに天候の影響を受けました。文学フリマの盛況ぶりは右肩上がりで、新生ミステリ研究会が過去に出店した開催の来場者数は、軒並み前年度を上回り続けていましたが、ここへきて初めて前年度来場者数を下回りました(前回の「文学フリマ広島7」の来場者数は1,328人。31人の微減)。会場を見回しても、いつも以上に空のブースが目立ちました。出店者側にも降雪のためにやむなく参加を見送った方が多くいらしたのでしょう。
     売上としては、雪の影響を考慮しても、個人的な期待を若干下回ってしまったかなと思います。特に、初めての土地での頒布にもかかわらず『叙述アンソロ』が二桁に届かなかったのは残念でした。「広島8」での「小説|ミステリ」ジャンルの出店者は4サークルと、地方開催にしては多いほうで、広島のミステリ熱は高いほうなのだなと思っていたのですが。
     会場がL字型で、太い線のほう(メインストリート)と出入口が直結していて、事務局本部もそちら側にあったため、ミステリジャンルが配置された細い線のほうは目的意識がないと足が向かない構造で、来場者の流れがあまり届かなかったのかなとも感じました。
     今回の無料配布は90部を用意し、無事に配りきることが出来ました。最後の配布がイベント終了数十分前でしたので、ほどほどな部数で、配布率も6.9%と悪くありませんでした。とはいえ、上に書いたようにブース自体がメインから外れた場所で、加えて雪による来場者の足の鈍りもあったことから、条件が良ければ150~200部くらい配布できるポテンシャルはあるのではと感じました。今回は参加者が二名(庵字、尾ノ池)だったため、各人が1ページ分の短編を書き、それを一枚の紙の裏表に印刷することで紙のまとめ作業が低減されたこともスムーズな配布に繋がりました。こういう物理的な手間減らしはもっと色々とアイデアを出していきたいですね。
     今回、一番の課題となったのは、「1ブースのみのスペース時の本の陳列方法」です。個人での出店を除き「新生ミステリ研究会」での出店時に1ブースだけで展開したのは、2024年の「文学フリマ岩手9」と「文学フリマ札幌9」の二回のみです。当時は本の種類も少なかったため、陳列に苦労はありませんでしたが、現在は事情が異なります。現状、2ブース時でもすべての本を表紙を向けて陳列するのは困難です。今回は多くの本を背表紙を向ける立てた格好で出しておかなければならなくなり、公式Webカタログや、会アカウント、メンバーのXでの告知、ホームページなどで事前に知っていただき、本の指名買いをされるのでもなければ、本を会場で目に留めてもらう機会が激減してしまいました。今回、売上が事前の期待に届かなかったことには、この影響もあるように感じました。ブースにお越しいただき、興味を持ってくださった方には、その場で紙カタログを提示して全作品を確認していただけるようにはしていますが、やはり、通路を歩いていて表紙に目が留まる、という偶然の出会いが貴重であることは間違いありません。すべては無理であるとしても、せめて半数以上の本を表紙を向けてディスプレイする方法、設備が出来ないか、考えていきたいです。






    尾ノ池花菜

     今回は新生ミステリ研究会、初の広島出店!尾ノ池も初のローカルエリアでの販売でした。まずは広島での素敵な出会いに感謝申し上げます。
     当日は広島でも何十年ぶりと言われる雪が降り、大変情緒深いスタートとなりました。
     広島はミステリブースは4つ!うち我々ともうひとつは全国をまわっているブースさんのようでした。参加者さんも出店者側も、天候による交通機関の乱れを心配して早退されるブースさんも多かったです。実際に広島のバスダイヤは乱れ、電車は止まり、高速は通行規制がかかっていたようです。路面電車だけが徐行運転していました。ありがたや。
     広島ではほとんどご新規さん、はじめましての方が多かったです。アンソロジーの売上げがやはり良かった印象。ミステリは普段読みません、という方もお手に取っていただき、感謝ばかりでございました。作者さんのファンや、一緒に創作活動をしている仲間ともご挨拶がかない、広島でしか出会えないみなさんに会えて感動しました。
     人が少ない間は、お隣のブースの方と楽しくおしゃべりをしました。大変気さくな方で、お話もとても面白く勉強になりました。忙しい販売時間にはない、創作者同士の交流にこんなに濃密な時間を割けたことは大変貴重かと思います。
     あと、広島飯、マジで美味しい。お好み焼きもそうだけど、尾道ラーメンも美味しい。広島焼きは食べている途中はお腹いっぱいで苦しいですが、食べ終わった後、次の日には食べたくなります。シャBUだよ。あれは、シャBU。
     次は文学フリマ東京だ~~~。







    無料配布

    『中央と地方の文化的格差』庵字

    『幻馬のいななき』尾ノ池花菜


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