マーダーショー・マスト・ゴーオン ~コンパスの中心で~

 私の目の前に死体が転がっている。

 鋭利なナイフのようなもので心臓をひと突きされたらしいが、凶器は残されていない。

理真りま。犯人は分かった?」

 私――江嶋由宇えじまゆうは、傍らに立つ友人――にして素人探偵でもある安堂あんどう理真に訊いた。ちなみに、私は彼女のワトソンでもある。

「分かるわけないよ」

「おい! 探偵がそんな態度でいいのか!」

「だって、まだ犯人がいないもの」

「犯人がいないって、どういうこと? 犯行動機が絞れず、容疑者がひとりも浮かんでいないってこと?」

「ううん。そうじゃなくって、文字どおり、犯人がいないんだよ。物理的に」

「はあ?」

「見て」

 理真はぐるりを見回した。私もその視線を追う……。

 ……何もない。

 ここは見渡す限り……私と……理真と、死体、それ以外に何もない空間だ。

「分かった?」と理真は、私に顔を向け直して、「今、この世界にいるのは、私と由宇、そして、この名もなき死体、ただこれだけなんだよ」

「なんだそれ? メルカトル鮎みたいになってきたな……。じゃあ、この人は、どうして死んだの? 明らかに他殺だけど……」

 胸をひと突きという死に方といい、そもそも、凶器が見当たらないのだ。

「死んだっていうか、最初から死体として、この世界に現出したんだよ」

「なにそれ? 変だよ」

「変じゃないよ。……ねえ」理真は、あらためて死体を指さして、「由宇は、この死体を見て、年齢や性別に当たりをつけることが出来る?」

「……なにを言ってるの? さすがに、それくらいは、ある程度見た目で……」

 私は、もう一度死体を見下ろしてみる……が……。

「…………」

 私は押し黙ってしまった。なぜって……この死体となった人物の年齢や性別を判断することが出来なかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・から。――いや、死体が腐乱しているだとか、そういう物理的な要因じゃない。死体は新鮮(?)だ。腐りかけてすらいない。なのに……私には、この死体が男性か女性か、どの程度の年齢なのか、そういった情報を読み取ることが……一切できないのだ!

「――理真! これは……いったいどういうこと?」

 振り仰いだ私の前で、しかし、泰然とした姿勢を崩さないまま、理真は、

「無理もないよ。だって、現時点で決まっていることは、ここに刺殺体がある、というそれだけなんだから」

「『決まっている』? それは、どういう意味……」

「言葉どおりの意味だよ。逆に言えば、それ以外は、まだ何も決まっていない・・・・・・・・・・・んだよ。この死体が誰なのか、さらには当然、犯人も」

「犯人が決まっていない? 理真、さっきも似たようなことを言ってたよね。犯人がいないって」

「そう、犯人はいない。現段階ではね。これも繰り返しになるけれど、今は、死体と私と由宇、この世界にあるものは、それだけなの。でも安心して。もうじき現れるから」

「現れる? 犯人が?」

「そう。犯人だけじゃなくって、容疑者たちもね」

「容疑者……って、犯人だけが出てきてくれたら、それでいいじゃん。そもそも、犯人が分かってるなら、容疑者なんていらないよ」

「いや、いるよ」

「どうして?」

「だって、犯人ひとりだけしか出てこなかったら、その人が犯人だってバレバレだもん」

「言ってる意味が……」

「由宇、ほら、来るよ」

 理真が指さした先には、一枚のドアがあった。……待て、ドア? 見回すと、私たちがいるのは……洋風の部屋の中だ!  床には絨毯が敷かれ、樫材で出来た机と椅子、書棚、応接用のローテーブルとソファなどが設えられている。えっ? いつの間に? 混乱する私の前で、その――レリーフが施された重厚な――ドアが開き……。

「あの人が殺されてしまうだなんて……まさか……」

 誰かが入室してきた。

 私が、入室してきた人物を〝誰か〟と表現した理由、それは……その人物が何者であるか、やはり――死体と同様に――判別することが出来なかったためだ。

 さらに、ドアからは次々に〝誰か〟たちが入ってきて、

「確かに、被害者と揉めたことはありました。でも、もう過去のことですし、そんな些細なことで殺したりしませんよ」

「私にはアリバイがあります。調べていただければすぐに分かりますよ」

「あいつだよ。あいつがやったに決まってる」

 口々に、誰に対してともなく勝手に喋り始めた。

「理真、この人たちが容疑者? この中に犯人もいるってこと? ……でも、やっぱり、死体と同じで、年齢も性別も分からない……」

「仕方ないんだよ。犯人や容疑者たちも、死体――被害者――同様、最初はただの木偶デク人形に過ぎない。なにせ、この時点では、何も決まっていない・・・・・・・・・から」

「また、それ……」

「でも、安心して。いつまでも人形のままでいるわけはないから。みんな、次第に性別や年齢、容姿なんかのパーソナリティを獲得していくよ」

 理真の言ったとおりだった。その大勢の〝誰か〟たちは、あるものは〝彼〟へ、またあるものは〝彼女〟へと、次第に容姿や年齢などの判別がつけられるように……いわば〝人形〟から〝人間〟になっていった。

 そして、最後に、

「被害者は、なかなかに癖のある男だったみたいね。表向きは若くして成功した実業家だけど、裏では反社会的組織との繋がりも……」

 事件捜査の際にいつも一緒に行動している、新潟県警捜査一課の丸柴栞まるしばしおり刑事が姿を見せた。

 えっ? 今、被害者のことを言ったんだよね? 男? 若くして?

 もしかして? と振り返ってみると、絨毯の上に横たわる死体は、三十代程度の年齢に見える若い男性に変わっていた……いや……決まった・・・・のか?

 あっけにとられた私を見ながら、理真は、

「そろそろ、由宇にも分かってきたでしょ? まず〝死体ありき〟すべてはそこからなんだよ。死体は言わば……この世界の中心であり、はじまりというわけ」

「……まだ、理真の言っていることが、理解できない……」

「見てのとおりだよ」と理真は、私たちを囲む大勢の人たちを、ぐるりと見回して、「最初の時点では、まだ、死体は何者でもなく、被害者という記号でしかない。そこから、殺され方――ようはトリック――が考え出され、そのトリックを成立させるための状況がつくられて、トリックを行使可能な人物が生まれる。つまり、犯人だね。そこから段々と、世界が定まってきて……」

「それじゃあ、被害者は死ぬために、犯人は人を殺すために、それぞれ生まれてきたってことになるよ? そんなの哀しすぎない?」

「仕方がないんだよ。誰かに死んでもらわないと、誰かに殺人犯になってもらわないと成立しない。そういう因果な世界なんだから、ここは」

 それが本当なのだとしたら……理真が言ったような〝世界〟だけじゃない。そこに住む私たち自身までもが、なんと因果な存在であることか……。

 やるせなく窓外を見やると、そこには、新緑に彩られた森が繁っていた。ここは人里離れた山中に建つ洋館だったのか……いや、そう決まったのか……。

「さて……私たちの出番はまだ先のはずだよ。コーヒーでも飲みながら、ゆっくりくつろいで待っていようよ」

 と振り向いた理真の尻ポケットからは、血痕のついたナイフが覗いていた。

 ……という夢を見た。

(了)

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