


写真で振り返る新生ミステリ研究会・文学フリマの旅~札幌庵字編

【Youtube更新】#文学フリマで買った本 『赤沼家の殺人』byKan 勝手に感想語ろう会

【著者】庵字
【あらすじ】
大阪市で食べ歩きに興じていた安堂理真は、“法で裁けぬ悪人”のみを狙う、とされている深夜の刺殺鬼“ナイト・スティンガー”事件の捜査協力を大阪府警から依頼される。
殺人鬼対素人探偵、その戦いの行方は?(表題作)
シリーズ初の倒叙ミステリである表題作をはじめ、「本格」を愛してやまない作者が贈る、中・短編集。
【販売】
文学フリマ(大阪12、札幌9、福岡10、東京39)
試し読み
序章 刺殺鬼の夜
「どうか……お願いします!」
海尾達正は、目の前に立つ男――高桑武彦――に向かい深々と頭を下げた。
高桑は、海外製の煙草の封を切り、中から一本取り出すと、それを咥えるでもなく片手でもてあそびながら、
「やめて下さい。そんなことをしたって無駄ですよ。……まあ、天下の海尾さんに頭を下げられるという経験も、まんざら悪いものじゃありませんけれどね」
両手で膝頭を掴み、上半身を地面と水平になるほど折り曲げている海尾の頭頂部を見下ろして笑みを浮かべた。
十数秒もそうしていた海尾は、
「これでも、足りませんか……」
屈み込み、地面に膝と両手、さらに額をも突いた。昼間のあいだに嫌というほどアスファルトに染みこんだ——そして深夜になっても消えきらない——真夏の熱が額に伝わった。
「お願いします……!」
絞り出した声は、黒く生暖かいアスファルトに反射し、くぐもった音響となって高桑へ届く。
「申し訳ないが……」
降ってくる高桑の声には、相手の申し入れを一切聞き入れる気はない、という冷たさが籠められていた。
「高桑さん……」膝を突いたまま両腕を伸ばし、顔を上げた海尾は、「あなた、どうして、こんなことをするんです……どうして――」
「おっと、海尾さん」高桑は手を向けて、「あなた……いえ、あなたも含めた芸能人――に限らない一般の方々も、何か勘違いをされているようだ。我々はね、何も犯罪を暴こうだとか、倫理を逸脱した行為を糾弾しようだとか、まして、成功者の恥部を暴いてその地位から引きずり下ろしてやろうだとか、そんな社会正義や、くだらないやっかみのために働いているんじゃないんですよ。我々の行動理念は単純かつ明確。〝売れるネタを掴む〟これだけです。
どんなに苦労して掴んだネタでも、編集長が判断して誌面に載らなかった――ボツを食らった――ら、それで終わりです。編集長から誌面に載せない判断を下されたということは、それは読者の興味を引かないネタだというわけです。ひいては、雑誌が売れない、金にならないネタだということ。つまり、我々は、売れるネタ、イコール、読者が喜ぶ、読みたいと思っているネタにしか興味はないし、追いかけもしないということです。
……だからね、海尾さん、あなたがここでいくら私に頭を下げたって、それはお門違いってものなんですよ。あなたが頭を下げるべきは、雑誌の読者たちです。記事を取り上げたニュース、ワイドショーを視て喜ぶ視聴者たちです。そういった一般大衆に向かって、どうか、くだらない芸能ゴシップになんかに興味を持つのはやめて下さい。そうお願いするしかないんです。いくら社会正義や道徳から外れた許されざる行為であっても、それが大衆が一顧だにしない――つまり、金にならない――ネタであったなら、我々も興味は持ちませんし、追いかけもしません」
言葉の端々で高桑が手を振るたび、指に挟まれた――未だ火の点されていない――煙草が指揮者のタクトのように揺れた。
「ゴシップ……ですか……」
噛みしめた唇の隙間から、海尾の声が漏れた。人通りのほぼない深夜のビジネス街の、さらに道路とも言い表しがたいビルの隙間の狭い路地においては、そんな小さな呟きも掻き消されることはなく、容易に高桑の耳に届いた。
「確かに〝ゴシップ〟というものには、縁のない人だとばかり思っていましたけれどね、あなたの相方、柏木栄樹さんは。海尾さんならまだしも——おっと、失礼。いや、この仕事をしていると、つくづく思い知ります。テレビで見るイメージなんて、当てにならないものだなと」
はは、と高桑の乾いた笑い声が、左右のビルに反響した。
「しかし、まあ、よく私が〝柏木さんのネタ〟を握っているということを嗅ぎつけましたね、海尾さん。私は、追っているネタは絶対に誰にも話さない主義だというのに」
「蛇の道は蛇、言いますし……」
「そういうものですか」と高桑は、膝を突いたまま力なく言う海尾を見下ろし続け、「とにかく、そういうわけですから、このネタから手を引く気はありません」
きっぱりと言い切った。
「……そうですか」ゆっくりと立ち上がった海尾は、膝に付いた汚れを払いながら、「高桑さん、あなた、その――柏木についての――ネタは、まだ誰にも喋っていないんですよね」
「ええ、その点だけはご安心を。さっきも言ったばかりですが、私の主義ですからね。中にはいるんですよね、まだ裏取りも完全に固まっていないっていうのに、とにかく編集者の興味を引きたいがために、〝実は、これこれのネタを握っている〟とか漏らしてしまうやつが。私はそんなことは絶対にしませんよ。だから今のところ、このネタを追っている、というか、知っている記者は私以外にはいません。知られているにしても、あなたも〝蛇の道〟で耳にしたとおり、〝高桑が柏木さん絡みで何か調べているらしい〟程度のことでしかないでしょうね。だから、どこかの心ない記者が、私より先にこのネタを〝すっぱ抜く〟ということはありえませんよ」
「……それを聞いて安心しました」
「それにしても、驚きましたよ。まさか、あなたが相方のゴシップ流出を阻止しようと、こうして私に接触してくるだなんてね。昔は、漫才コンビは仲が悪い、なんて常識でしたけれど、今は昔なんでしょうかね。そういうコンビ愛があるからこそ、〝メトロポリス〟は何十年にもわたって業界トップに君臨し続けていられるんでしょうね。今は、芸さえ見せていれば、プライベートで何をやっていてもオーケー、なんていう時代じゃありません。視聴者は、芸能人の、そういったプライベートの言動も含めてファンになるならないを決めますからね。芸事の力量、実力以前に〝推すに足る誠実な人間〟であることが求められます。芸能人にとっては窮屈な世の中になったなと、同情しないこともありませんよ」
言葉とは裏腹に、高桑の口振りに同情が籠もっている様子は一切なかった。そんな高桑を上目遣いに見て——いや、睨んで、海尾は、
「その、メトロポリスも終わりです。もし……高桑さんのネタが世間に知られたら……」
「確かに、メトロポリスとしては終わりでも、あなたが路頭に迷うことなんてないでしょ。今や〝ピン〟でも——いや、ピンの仕事のほうが多いくらいじゃありませんか? 海尾さん。いや、それは柏木さんも同じことか。〝メトロポリス〟コンビで出演する番組のほうが稀ですよね、今では。漫才もやらなくなりましたし。私、好きだったんですよ、メトロポリスのネタ――」
そこまで言ったとき、高桑の懐でスマートフォンが鳴った。「失礼しますよ」と高桑はスマートフォンを取りだして応答する。
「……ええ、大丈夫です。……そうですか、ちょっと待って下さい……」
高桑は、スマートフォンを、指に煙草を挟んだほうの手に持ち替え、空いた片手で懐を探り、器用にペンと手帳を同時に取りだした。さらにスマートフォンを頬と肩で挟み込み、手帳にペンを走らせる。
「……分かりました。では、そういうことで。ありがとうございます」
通話を終えた高桑の手から、スマートフォン、手帳、ペンが懐に戻されると、彼の手にあるものは再び火の灯っていない煙草一本だけとなった。
「こんな仕事をしていると、仕事の電話も昼夜お構いなしです」
はは、と笑った高桑に、海尾は、
「高桑さんも、持ってはるとは驚きました」
「えっ?何がですか?」
「見ましたよ、さっき使っていたペン」
「……ああ、そのことですか」高桑は、今しがた懐にしまったばかりのペンを、もう一度取りだして、「そうなんです。私も招待されていたんですよ、あのパーティーに」
高桑が持つペンは、海尾が所属する芸能事務所〝コセキプロダクション〟の会長が傘寿(さんじゆ)(八十歳)を迎えた記念に開かれたパーティの招待客だけに配られた、高級ブランドメーカーの特注品だった。
「高桑さんが、ねえ……」
「意外でしたか?でしょうね。あのパーティーに呼ばれたのは、会長が特別懇意にしている、業界の中でも選りすぐりの重鎮ばかりでしたからね。なのに、どうして私みたいな芸能ゴシップ記者が、ってお思いになったでしょう」
「はい」
「はは、正直な人だ。それはですね、こういうわけですよ。〝標的〟によっては、掴んだネタを編集部に持っていかないほうが得をする場合もあるってことです」
「……そういうことやったんですか。ちょっと前に事務所で噂になったことがありましたわ。うちの専務が、いわゆる〝反社〟の息のかかった企業の連中と付き合うてて、その証拠をどこかの記者が掴んだみたいや、って。いつの間にか、その話はいっさい聞かれんようなりましたが……。そのネタと引き換えに、あのパーティーに潜り込んだっちゅうわけですか。専務を脅して」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。情報を個人的に買い取ってもらっただけの、正当な取り引きですよ、あれは。しかも、潜り込んだだなんて。私は正式な招待客として、堂々とあのパーティーに出席したんですからね。そういえば、その専務は、メトロポリスを世に出した、海尾さんと柏木さんにとって恩人とも言うべき人だそうですね」
「色々と、良うしてもらいました」
「よかったじゃないですか、変な噂が消えて。それにしても、このペンの効果は絶大ですね」
高桑は、ペンを月明かりにかざして、
「なにせ、さっきも言いましたが、あのパーティーに招待されたのは、いわば、コセキプロ会長のご友人ばかり、ということですからね。この記念のペンを持っている、イコール、あのパーティーの招待客、ということです。こっちをただのゴシップ記者だと思って舐めてかかるような人も、このペンを見せれば面白いように態度が豹変します。この業界で――私のような記者を除けば――コセキプロを敵に回す馬鹿なんているわけがありませんからね。交渉をスムーズな方向に持っていくのに、大変役に立っていますよ、このペンは。まあ、そういった〝ご威光〟を抜きにしても、このペンは実に書きやすいですよね。さすが最高級ブランド品だ。お分かりいただけますよね。このペンは、海尾さんもお持ちのはずですから」
会長の傘寿記念パーティーには、コセキプロ所属の中でも特に人気のある——ひいては事務所に金を運んでくる——トップクラスの所属芸能人数名も招待されていた。
「ええ、確かにいいペンですわ。こんなんに金掛けるなら、もっと若手の給料上げてやれ、って柏木は文句言うてましたけれど」
「はは、後輩想いの柏木さんらしいですね」ペンを懐に戻すと高桑は、「それじゃあ、そろそろ私は失礼しますよ」
指に煙草を挟んだままの手を挙げ、踵を返した。その背中に、
「歩いて帰るんですか? 気いつけて下さいよ」
「は?」投げかけられた言葉に、高桑は立ち止まって振り向くと、「気をつけるって、何を?」
「決まってますやん……〝ナイト・スティンガー〟ですよ」
「…………」きょとんとした顔をして、数秒後、ははっ、と笑いを漏らした高桑は、「どうしてですか? どうして私が〝ナイト・スティンガー〟に気をつける必要があるんですか?」
「だって、ネットで言われてますやん。〝ナイト・スティンガー〟は、法では裁けない悪人ばかりを殺してまわる処刑人やって」
「馬鹿馬鹿しい……」苦笑いを見せると、高桑は、「そんなこと――私が〝ナイト・スティンガー〟の獲物になるなんて、そんなこと、ありえませんよ」
「いえ、本当に、気いつけないといけません……」
「どうして?」
「だって……」
「だから――」高桑は、ちっ、と舌打ちをして、「何が言いたいんです?」
「目の前におるからですよ」
「……はあ?」
「〝ナイト・スティンガー〟は……俺や」
「なにを――」
それが高桑の最期の言葉となった。前傾姿勢で飛び込んできた海尾が構えていたナイフが、高桑の腹部に突き刺さった。
「お前を殺すために、俺は〝ナイト・スティンガー〟になったんや……死にされせっ……!」
海尾は体重をかけ、さらに深くナイフを食い込ませる。
うぶぅ……っ——という悲鳴ともつかない鈍い声、続けて、赤黒い血が高桑の唇の間から漏れ出る。震える指先から滑り抜けた煙草がアスファルトに落下し、音もなく跳ねた。海尾がさらに体を寄せると、ナイフの刀身は完全に高桑の腹にめり込んだ。もたれかかってきた高桑の震える手が、海尾の体を掴む。
「離さんかい――!」
身を引いた海尾は、うずくまるように膝を曲げた高桑の胸を足蹴にした。その衝撃で高桑の背広の懐からペンがこぼれ落ち、月明かりを反射させながらアスファルトに転がった。
突き立つナイフの柄を中心に広がる鮮血が、その領域を広げていくたびに、高桑の呼吸は荒く、小刻みに変化していき、やがて、命の火とともに完全に途絶えた。
海尾は自分の両手、体を確認する。突き刺さったナイフが栓の役割を果たしたため、返り血は浴びていなかった。しかし、この服はすぐに処分したほうがいいだろう。次にハンカチを取り出した海尾は、死体の腹部に突き立ったままのナイフの柄を丁寧に拭い、高桑の背広の懐に手を突込んだ。
「これでええ……」
すべての仕事を終え、大きく息をついた海尾は、もう一度、生暖かいアスファルトの上に大の字になった高桑の死体を一瞥すると、足速にその場を去った。
第一章 新潟から来ました。天神橋筋商店街弾丸食べ歩きツアー
大阪府大阪市北区に位置する天神橋筋商店街を、私と理真は歩いていた。
見よ、商店街ど真ん中を闊歩する安堂理真の勇姿を。たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、大阪が誇る粉物グルメの数々を、少なく見積もっても六人前は腹に収めたとは到底信じられない、この堂々たる足取りを。蓮歩(美人がしなやかに歩くこと)というのはこれかと思う。ファッションショーのランウェイなのか? ここは。と錯覚してしまいそうになるではないか(ならない)。
「由宇」立ち止まった理真は、私を見て、「粉物が続いたからさ、そろそろ汁物が食べたくなってきたよね?」
彼女が指さす先には、おそば屋さんの暖簾があった。
「ならねーよ」
満腹のお腹を抱えた私は、もう料理の種類どうこうという話ではなくなってきている。
「お寿司のほうがいい?」
「よかねーよ」
「もう! 何だったら食べられるっていうの?」
「〝食べる〟という選択肢を外してもらっていいですか」
「仕方がないな……じゃあ、喫茶店で休もうよ」
私と理真は、近くに見つけた喫茶店のドアを押し、カウベルを鳴らした。
ボックス席を求め、店員さんにアイスコーヒーを注文した私は、はぁー、と大きく息をつき、ソファの背もたれに背中を預ける。
〝大阪の食い倒れ〟という言葉がある。本来は〝大阪人は破産するほど飲食にお金を掛ける〟という意味だそうだが、〝大阪には美味しい食べ物がたくさんありすぎて、倒れるまで食べてしまう〟という使われ方のほうが今では一般的なのではないだろうか。大阪よ、倒してくれ、安堂理真を。テーブルの対面に座る彼女は、あろうことか、じっくりとメニューを眺め始めているではないか。私のようにドリンクだけでなく、なにやら食べ物がセットになったメニューをがっつり注文するつもりなのではなかろうか?
新潟県新潟市在住の作家、安堂理真と、その親友である私、江嶋由宇が大阪で優雅に(?)食べ歩きを満喫できているのは、大阪で開かれた理真の知人作家のデビュー二十周年記念パーティーに招待されたためだ。パーティは昨夜に開催され、一泊した私と理真は、その翌日――つまり今日――こうして〝大阪食い倒れツアー〟を企画し、パーティー会場、ひいては宿泊先ホテルに近い、ここ天神橋筋商店街を、そのツアー場所として選んだのだった。
喫茶店で一服した私たちは(私はアイスコーヒーだけだったが、理真はトーストとケーキ付きのセットをたいらげていた)、店を出て再び商店街へと舞い戻った。路上でストレッチらしき動きを取っている理真を見て、こいつ、まだまだ食べる気だぞ、と私は戦慄した。
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