写真で振り返る新生ミステリ研究会・文学フリマの旅~福岡庵字編+清張の軌跡(東京ステーションホテル尾ノ池編)
コラムを更新しました:エラリー・クイーンの国名シリーズ、勝手に妄想して遊ぶ

【著者】尾ノ池花菜
【あらすじ】
戦争×ミステリー短編集!
終戦から80年の今年、史実とフィクションが織りなすミステリーをお楽しみください。
『神島戦殺人事件』
一九四五年、南方の神島で大日本帝国陸軍兵士・北川は、米軍との激戦の末に仲間とともに敗走し、民間人の避難壕に逃げ込む。壕内では隊長松永の独裁が続き、飢餓と恐怖の中で兵と住民は共に腐敗していく。崩落により松永が閉じ込められ、救出作業の後、彼は無残な死体で発見される。なぜ、どうして、どうやって。真相の先にあるのは、地上戦の悲劇。
『大阪闇市懺悔坂』
大阪大空襲で焼け野原となった大阪の闇市で、戦争を生き延びた復員兵・竹田は、家族のため闇市で米を得ようと足を引きずり歩く。闇市では飢えに苦しむ民衆や孤児たちが群がり、焦げと汗の悪臭が漂う。竹田は米を手に入れるが、狐のような顔をした男・酒樹蔵に声をかけられ、共に戦中の記憶を語り合う。やがて竹田は、戦友の死の真相を語りだすが、それは自らの罪悪感と向き合うことであった。
『川崎芋虫館の悲劇』
戦後の焼け跡の川崎で暮らす十六歳の少女・富巳子は、父を失い、貧困と飢えの中で家族を支えていた。十七歳の誕生日を前に、彼女は高給に惹かれ、多摩川沿いにある「芋虫館」の女中職に応募する。屋敷の主の妻・薫に迎えられた富巳子は、戦地から四肢を失って帰還した元実業家の復員兵・壽時と対面する。包帯に包まれた「芋虫」のような姿の彼の世話を任された富巳子は、恐怖と哀れみを抱きながら、彼と薫の奇妙な運命に巻き込まれていく——。
【販売】
文学フリマ(東京41)
一神島戦殺人事件
真っ赤に燃えていた。何もかもが。空、海、山、土、風、人。すべてが絶叫し、苦しみ悶えたうちに、死んだ。これを地獄と呼ばないのであれば、地獄という言葉にはきっと何の意味もないのであろう。
一九四五年四月。第二次世界大戦末期、大日日本帝国は、帝国アメリカと泥沼の戦争を行っていた。大日日本が、アメリカ、ハワイへの真珠湾攻撃の奇襲作戦を成功させ、東南アジア諸国に領土を拡大していた。しかし、ミッドウェー海戦にて、アメリカ艦隊に惨敗したのちに、戦線は一転した。大日日本が侵略した東南アジアにある諸島のほとんどをアメリカが奪い返し、ついにアメリカは大日日本帝国本土まで侵攻する寸前であった。本土決戦を避けるためには、大日日本帝国南方にある神島で、アメリカの侵攻を食い止めることは、帝国最大の命題である。
神島には、大日日本帝国陸軍歩兵第三十二連隊が配属された。当該連隊は、各地域から若者を集めた陸軍の中でも先鋭部隊であった。各部隊は、同郷の出身者同士で固まって編成されていた。同郷の者で組ませた方が、連帯感と士気が高まるという陸軍司令部の方針である。
北川明宏は、北海道出身者で編成された部隊に所属していた。旭川出身の北川に加え、札幌や白老、網走など各地から集められた十五人ほどの部隊であった。
北海道出身の北川にとって、南の島の神島は煉獄そのものであった。刺すような太陽光線、突発的な豪雨に、多量の湿気、不可思議な植物と虫に囲まれて、配属当初から不快続きであった。北川は、暑さに臭いがあることを知らなかった。北海道の凍てつく寒さは、臭いまで凍らせているのかもしれない。神島は、とても暑く、異様な臭いを放った島に変わりつつあった。
北川が配属されて一ヶ月目、大日本帝国が占領していたフィリピンでの戦況が悪化し、米軍の侵攻は止まらず、神島での決戦は避けられないものとなった。軍司令部は神島の中部に本陣を構えた。米軍は動線上最も近い、島の中央西部の海岸線から上陸すると予想されていた。何としても本土決戦を避けるために、神島戦を少しでも持久戦に持ち込まなければいけない。そう判断した陸軍は、四月一日、いわゆるD デイに、米軍の神島上陸を見過ごした。その全勢力を司令部の守りに投じ、米軍を迎え撃った。
北川は司令部から見て西部の最前線に配置されていた。米軍の圧倒的な火力を前に、戦線は押されるばかりであった。北川の戦友がまた一人、また一人、時には三人、五人と死んでいった。命を散らせるという表現には程遠く、銃弾で体に穴があき、血が噴き出し、爆弾で手足が吹っ飛び、ただただ肉体の塊が動かなくなった。
北川は、配属当初こそ目前に迫る死の恐怖に怯えていたが、今では何も感じなくなっていた。突っ込めと言われたから、走る。進めと言われたから、走る。国のために散れと言われたから、ひたすら走る。銃弾が飛び交う戦場もどこか他人事のようであった。
そんな北川にも耐えられないものがあった。臭いである。死臭と腐敗臭、汗と血と泥が混ざった臭い、火炎放射で焼け焦げた大地の臭い、爆弾の燃え尽きた煙の臭い、すべてが北川の体にまとわりついていた。北川は、風呂に入ることができれば、右奥歯の金歯を差し出してもよいというほど、風呂を羨望していた。
軍司令部の戦況は劣勢の一言であった。米軍が上陸して、早一ヶ月で何千もの兵士を失っていた。軍司令部は、持久戦に持ち込むべく、早々に司令部放棄と南部撤退を決定した。南部には、避難を命じ、家を追い出された民間人が何万人もいた。この時点で、軍部は民間人を巻き込んだ泥沼の戦いを目論んでいたのだ。
北川がいる小隊は別部隊とともに米軍への夜間奇襲を行うこととなった。大日日本陸軍には、銃弾や爆弾の節約が叫ばれる。兵士は銃剣一本と身一つで、暗い夜の森を駆け抜け、一人でも多くの米兵を殺すことを期待された。
「今夜の奇襲は、戦線を一転させる、大日日本陸軍第三二連隊の中でも、最も重要な作戦の一つである」
小隊長、松永は作戦決行前に激励の言葉を叫んだ。
「国のため、郷里に残してきた父母、妻、そして子どものため、一歩でも前に進み、銃剣を突き刺せ。それが皇国、大日日本の勝利の一歩となる」
松永は、大きく息を吸うと、定型文を言い放った。
「立派な殉死を遂げて、靖国でまた会おう」
その夜のことを北川はよく覚えていない。暗い亜熱帯の森が、銃撃と爆弾で光り輝いていた。閃光弾が放たれると、そこは昼間のように明るく太陽のようであった。とにかく北川は銃弾の音が鳴る方に走った。周囲の友軍の数は、だんだん心もとなくなる。突然、北川の目の前が真っ赤に燃えた。膝丈ほどまである草むらに体が崩れ落ち、動けない。何が起きたのか分からない。左足が燃えるように熱い。きっと、左足を撃たれたのであろう。唯一動く眼球には、キラキラと光の尾を放つ砲撃が見えた。郷里で見た花火のようだ。そう思った矢先である。
「きたがわぁ」
同期の河津が北川の負傷に気づいた。小隊の中で、彼ほど優秀な兵士はいないと評価されていた、勇敢な人である。また衛生兵の尾田も駆け寄ってきた。
二人に引きずられ、北川は夜の森から抜け出した。遠くなっていく戦場は、いつまでも光り輝き、燃えていた。
「ひとまず生き残ったのは我々だけか、主力部隊とはぐれてしまったようだな」
小隊長の松永は、生き残った北川、河津、尾田と矢野を前に悲嘆した。矢野は、昨夜の戦闘で右足を撃たれて、ひとりでは歩けなくなっていた。河津と尾田が交互に矢野を補助しなければならない状況だ。松永隊長はこの状況を快く思っていない。北川も左の太ももを負傷したが、松永隊長の機嫌のことを考えるとひとりで歩行可能であることを証明せねばならなかった。
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