『山手線大爆破』

【著者】庵字

【あらすじ】
山手線外回りが爆弾を仕掛けられたまま発車した! 各駅間で素人探偵、安堂理真が挑む30の謎。
姿なき犯人との対決の行く手に待ち受けるものは?

4編収録の中、短編集。

【販売】
文学フリマ(東京38、岩手9、大阪12、札幌9、福岡10、東京39)

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 不可能犯罪がもたらすものは、死の尊厳である。
 人はなぜ不可能犯罪を行うのか。人を殺すためにトリックを弄し、殺した罪を隠蔽しようとするのか。言うまでもない。殺人の罪から逃れるためである。なぜ殺人の罪から逃れたいのか。殺人が重罪だからである。なぜ殺人が重罪なのか。人の命が尊ばれているからである。尊い人の命を奪う罪を犯したものには、相応の罰が与えられなければならない。〝不可能犯罪は平和な世界でしか起きえない〟と言われる所以がこれである。
 法も秩序もない、まさに無法地帯において、トリックを用いて人を殺そうとするものがいるだろうか。殺した罪を隠蔽しようとするだろうか。人を殺める行為は大罪である、と共通認識された世界にいるからこそ、超犯罪者はトリックを用いて人を殺す。その罪を受けることから、罰から何としても逃れようとする。そこには——意識しようとしまいと——奪おうとする、あるいは奪ってしまった命に対する尊厳がある。
 翻って今、世の中には尊厳なき哀しき死が、殺人が、溢れすぎている。人の世から殺人を消し去ることが不可能である以上、少しでも、死の総量に対して〝尊厳ある死〟の比率を高めるべきである。そしてまた、不可能犯罪による殺人が増えるほどに、逆説的に命に対する尊厳も高まっていくことになると、人命に対する尊厳を取り戻す手段になりえると、我々は信じるものである。

狂既きようきの牙




 探偵、雨切世士郎あまぎりせいしろうは、奇怪な文章が綴られた便箋を私――小野里修也おのざとしゆうや――に寄こした。
「……なんだい、これ?」
 それに目を通し終えた私は、思わず雨切の顔を見る。
「読んでのとおりさ」
 雨切は、常人にはとても飲めたものではないほど強烈に濃い〝雨切ブレンド〟に――例によってブラックのまま——口を付けてから、
「挑戦状だよ」
 二枚目の便箋も差し出してきた。

 巨刃館きよじんかんに牙が突き立つ虎の牙

 長文の一枚目に反して、二枚目の便箋の内容は極めてシンプルだった。
「調べたところ、そこに書かれた〝巨刃館〟とは、群馬県吾妻郡嬬恋村あがつまぐんつまごいむらの山中に建つ洋館だと分かった。どこかの金持ちが道楽で建てた、じつに奇妙な館だという話だ」
「その、巨刃館とやらに〝牙が突き立つ〟って、もしかして……」
「ああ、そこで、不可能犯罪を起こすつもりなんだろうね。で、こんなものを探偵である私に送りつけてきた、その意味するところは、つまり……」
「挑戦状……」
「そういうことさ。この〝虎の牙〟というのは署名で、一枚目の最後に書かれている〝狂既の牙〟は組織名なんだろう。虎の牙は、そこの構成員といったところなんだろうね」
「〝狂既きようき〟って、どういう意味なんだろう?聞いたことのない言葉だけれど」
「恐らく〝狂瀾きようらん既倒きとうめぐらす〟という言葉から取ったんだと思う。悪くなってしまった状態をもとに戻す、という意味だよ。今の世の中、彼らの言う〝尊厳なき死〟が溢れていることは確かだからね。二十一世紀も四半世紀が過ぎようというのに、未だに地球各地で戦争、扮装が収まる気配はなく、短絡的で残忍な——私たち探偵が必要とされないような——殺人事件はあとを絶たない」
「それとこれとは全然無関係だろう? いくら不可能犯罪を実行したところで、世界の紛争が終結するわけじゃない。短絡的な殺人事件が減るわけじゃない。因果関係がまるでないじゃないか」
「書いてあるとおりさ。彼ら——狂既の牙——は、世界で起きる死の総量の中に――あくまで彼らの言う――尊厳ある死の数を増やすことで、死の尊厳の平均値を上げようとしているんじゃないかな」
「むちゃくちゃだ」
「また、こうも書かれているね。〝不可能犯罪による殺人が増えるほどに、逆説的に命に対する尊厳も高まっていく〟と」
「それがどうかしたのか?」
「小野里くん、こんな話を聞いたことはないかい? 〝人は楽しいときに笑顔になるが、笑顔を作るだけでもまた楽しくなる〟って」
「ああ、どこかで聞いたことがある。何かのテレビ番組だったか」
「ドイツの大学で発表された論文だよ。人は、笑顔を作るだけで脳内においてドーパミン系神経活動が変化して〝楽しくなる〟んだそうだ。〝楽しいから笑顔になる〟のじゃなくて、〝笑顔を作るから楽しくなる〟という逆因果ともいうべき現象が起きるというんだ。つまり、彼らはこう言いたいんじゃないかな。人命を貴ぶからこそ不可能犯罪が起きる、のであれば、〝不可能犯罪を起こすことで、逆因果的に人命が貴ばれるようになる〟と」
「そうなるかなぁ……」
「ただ単に、不可能犯罪を行う言い訳をこじつけているだけ、とも思えるがね……さてと」
 雨切は、空になったコーヒーカップを流しに置くと、
「さっそく、巨刃館へ行く手配をつけようと思うんだけれど……小野里くんも一緒に来てくれるよね」
「もちろんだよ」
「助かるよ。どうも私は、君という〝ワトソン〟なしじゃあ調子が上がらないものでね」
 雨切は、はにかんだような笑みを浮かべる。稀代の名探偵であることに疑いのない雨切が、凡人を絵に描いたような私を頼りにしていることがおかしく、また、そのことについて私自身は面映おもはゆさも感じた。

由宇ゆう、ちょっと、トイレ行ってくる」
 そこまで読んだところで、理真りまがそう言ったため、私は膝を縮めて、窓側席に座る彼女を通路に通してやる。「ありがとう」と理真は私の前を抜け、通路を歩いてデッキ方向へと向かった。
 私は読んでいた本にスピンを挟むと、いっとき空いた窓側席の座面に置き、ペットボトルのカフェオレを喉に流し込む。本のタイトルは『巨刃館きよじんかんの殺人』。作者は小野里修也。作中にも名前が出てきたことから分かるように、名探偵、雨切世士郎の助手ワトソンである。プロ作家の手を通すことなく、ワトソン自らが探偵の事件譚小説を書いているという珍しいパターンだ。
 間もなく燕三条駅に到着する旨を伝えるアナウンスが車内に響いた。
 私と理真は現在、上越新幹線にて東京へと向かっている。新潟から上京する目的は、作家である理真が編集者と打ち合わせを行うためだ。今日日きようび、軽い打ち合わせ程度であればネットを介して行われることがほとんどだが、今回は近く出版する書影の確認だとかの、かなり詰めた検討事項があるということで、直接顔を合わせて話したほうがいい、と決まったらしい。それはそれとして、さて、どうして理真だけでなく、私も一緒に新幹線に乗っているのかというと――。
 読書を再開しようとしたところで、理真が戻ってくるのが見えた。私は窓側席への動線を確保してやるため、再び膝を引こうかと思ったのだが……理真は通路に立ち止まり、座席上の棚に載せてある鞄を開いてごそごそとやりだした。「ありがとう」とまた礼を述べて私の前を通った彼女の手には、鞄から取り出した菓子袋が。新潟限定で販売されている米菓「サラダホープ」だ。
「それ、琉香るかちゃんへのおみやげでしょ」
「たくさん持ってきたから、ひとつくらい大丈夫だって」
 言いながら理真は袋を開け、六パック入りの小袋のひとつを私に差し出してきた。口が甘いカフェオレに慣れて、ちょうどしょっぱいものを欲していたため、黙ってそれを受け取る。
 ――私までが理真にくっついて新幹線に乗っている理由は二つある。そのひとつが、今、私が口にした「琉香ちゃん」だ。保志枝ほしえ琉香は東京在住のフリーライターで、ある事件がきっかけとなって理真や私と懇意になった女性だ。理真が、せっかく上京するのだから、琉香ちゃんも交えて飲もうよ、と提案し、保志枝も了承したのだ。了承というか、保志枝はこの飲み会に諸手を挙げて賛成の意思表示をした。毎回理真が持参する新潟土産の「サラダホープ」が目当てなのだ。いや、理真や私と飲むこと自体も楽しみにしてくれてはいるのだろうけれども。
 今日は五月十七日の金曜日。三人ともが勤め人ではないのだが、就いている職種無関係に、金曜の夜というのは人のテンションを上げる効果があるような気がする。
「どこまで読んだ?」
 理真に訊かれた。この本は理真から借りているもののため、理真は既読なのだ。
「まだまだ序盤。雨切探偵が挑戦状を受け取ったところ」
「そっか。でも、そんなに厚い本じゃないから、上野に着くまでには読破できると思うよ」
「そう? でも私、読むの遅いからなぁ……」
 降車駅である上野までは、あと二時間弱。私は残りページの厚みを見ながら首を傾げた。
 私が車中で読書をしているのは、なにも時間つぶしのためだけではない。今回上京する、保志枝と飲む以外のもうひとつに目的に関連しているのだ。その目的とは、この本の作中にも出てきた、私立探偵、雨切世士郎と、彼のワトソンである小野里修也の二人に会うこと。なんでも、保志枝が最近、小野里を担当している編集者――木崎瑠璃子きざきるりこという名の女性だそうだ――と知り合いになり、彼女と何回か話すうちに、実は自分も新潟在住の作家兼探偵と知り合いだ、と喋ったというのだ。そして、木崎もそのことを小野里に話した。すると、雨切と一緒に話を聞いてみたい、と小野里から対談の申し込みがあったという。理真は、自分が探偵活動をしていることは喧伝していないため、この話に二の足を踏みはしたが、木崎という編集者――結構な大手出版社所属だった――と知り合いになる機会は逃しがたく、あくまで作家としてなら、ということで話を受けることにしたのだ。それならば、向こうが探偵ワトソンそろって来てもらうからには、こちらも理真ひとりではどうだろう、ということになり、私も参加することになったというわけだ(理真がひとりで向こう二人の相手をするのに不安を憶えた、という事情もある)。というか、理真が作家として参加するなら、私の立ち位置はどうなるんだ? 高校時代からの友人で、現在は理真が住むアパートの大家をしている、という立場の人間がどう対談に参加したらいいのだろうか。読者からしたら、こいつ誰だよ、となってしまうこと請け合いだと思うのだが、そのときはそのときだ。ちなみに、五月十七日という日にちと時間も小野里からの指定だった。
 私は読書に戻ることにした。それにしても……狂既の牙、か。私は作中に出てきた名前を思い返し、ぶるると震え上がった。
 〝狂既の牙〟とは、最近世間を騒がせている〝不可能犯罪テロリスト〟とでもいうべき謎の犯罪組織だ。そのやり口は、この『巨刃館の殺人』にも書かれているように、これと目を付けた探偵に対して挑戦状を叩きつけるところから始まる。
 狂既の牙は、これまでに三件の事件を引き起こしているが、そのいずれもが、挑戦を受けた探偵の活躍によって解決を見ている。その狂既の牙が起こした最初の事件を小説化したものが、この『巨刃館の殺人』なのだ。
 狂既の牙が引き起こす事件の種類は、単純な殺人事件に留まっていない。『巨刃館の殺人』は、外界から孤立した館が舞台となった、いわば典型的な〝閉鎖空間クローズド・サークル〟で起きた連続殺人事件だが、他の二件は、政府要人が掠われ、捜査途中で殺人も起きた誘拐殺人事件と、一都二県をまたにかけて発生した、ヒット曲の歌詞になぞらえられた見立て殺人事件だった。
 狂既の牙は本気だ。誘拐殺人事件の際には、人質の監禁場所の一軒家に時限爆弾が仕掛けられており、もしも起動していたら家を丸ごと木っ端微塵に爆破できるほどの威力を有した代物だったという。見立て殺人では犯人が拳銃を所持しており、警官隊と派手な銃撃戦を繰り広げた。そういった凶器を調達できることから、狂既の牙はかなり大がかりな組織だと思われており、公安を巻き込んでの捜査が続けられている。狂既の牙、第四の予告状は、いつ、誰のもとに届くのか。警察や民間探偵たちは戦々恐々としている(中には、次は自分が相手になってやる、と手ぐすね引いている剛気な探偵もいると聞くが)。まあ、これまでの狂既の牙の予告状は、すべて都内に在住する探偵に向けて出されているし、新潟という地方都市をホームにしている理真には関係のない話だろう。ということで、私はサラダホープをおともに読書へと戻るのだった。

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