菱川さんと二人で副会長を務めています、凛野です。
まあSNSでの盛り上がりをすべてと捉えるような見方は正直、好きじゃありません。
特に小説なんて、基本的に読者と作者(1対1)のクローズドな関係が特徴の媒体であって、みんなで共有したり議論したりすることばかりが目的じゃありませんし、その度合いで作品の良し悪しが決まるなんてことはありませんからね。
しかし無視もできません。
SNSと云うか、ネットでの盛り上がりも大事です。それがすべてではないよねーと云いたいだけで、軽視したり、ましてや蔑ろにするつもりは全然ないのです。そこから作品を知る人、読む人が増えますし、小説というのはやっぱり、少なくとも世に出された以上は、読まれるためにあるのですから。
だいたい、盛り上がってほしいですからね。当然。
というわけで本題なのですが、〈考察〉というやつがあります。
これはホラー、SF、ファンタジーなんかのジャンルを問わず、さらには小説、漫画、映画なんかの媒体も問わず、虚構の物語を描いた作品に関するSNSでの盛り上がり方の一種として。
作品内で明示されてはいないものの、「あれはこういうことじゃないか」「実はこんな意味もあるんじゃないか」「この先、こういう展開が待っているんじゃないか」等と受け手側が考察し、XやYouTubeやTikTok等で話題になるというアレです。
たとえば週刊連載の漫画とか、放送中のテレビアニメなんて、人気作は最新話が出るたびに盛り上がっていますよね。人気があるから考察が捗るのか、考察が捗るから人気なのか、という〈卵が先か鶏が先か〉問題はとりあえず棚上げするとして、SNSの時代でそういう楽しみ方が一般化しているのは疑い得ません。
ただ、これがミステリとは相性が良くないのです。特に小説は難しい!
そもそも考察が盛り上がるのは、当たり前ですけれど、考察の余地があるからです。
思わせぶりな描写がたくさんあって、それらの意図が必ずしも作中ですべて明かされるわけじゃないような作品なんて格好の的ですね。多くの世代に伝わる代表例としては、まあ『エヴァ』でしょう。
しかしミステリというのは謎を謎のまま残さず、すべてを解明するジャンルなわけですよ。
未解決の謎なんて残っていたら、それは〈考察の余地〉ではなく、〈不出来な点〉として批判の対象となります。作者が謎解きを放棄したと見做され、失敗作と評されるのが普通です。
解決編の前――つまりは読んでいる最中であれば、まだ謎は解かれていないわけですが、そこで真相を当てようとするのは、ミステリにおいては〈推理〉と呼ばれるものです。SNS上の〈考察〉とは異なります。
それにミステリは、解決編までいかないと評価が定まりません。特に小説は――小説だって雑誌やWeb上で連載していることはあるのですけれど、アニメやドラマと比べると、やはり完結後に、単行本なり文庫本として刊行されてから一気に読まれるパターンが多いわけです。したがって、いつまでも解決編の手前で止めておきながら〈推理〉を楽しんでSNSで盛り上がるようなことにはならないのです。
では、ミステリでポジティブに語られる内容とは何か。
それはトリックや伏線回収といった技巧面でしょう。
しかしこれはミステリというジャンルが好きな人達だから楽しく語れる(超楽しく語れる)わけで、ミステリに興味がない層を巻き込んで話題沸騰となることは考えにくいです。
あるいは、哲学的・思想的なテーマや社会問題を取り扱っている作品であれば、その面で楽しく語る(めちゃくちゃ楽しく語る)こともあるのですが、これはSNSで見るような〈考察〉というより、もはや〈評論〉のレベルになってしまいがちです。
いずれにせよ、Xで投稿される字数や、YouTubeやTikTokでよく観られる動画の尺に収まる、フランクな〈考察〉ではありません。
さらには、ミステリというジャンルは云うまでもなくネタバレ厳禁です。
ネタバレ無しで語れる内容なんて限られます。すると結末まで読んだ人間同士でも、なるべく未読の方の目に留まらないよう気をつけながら語り合うことになります。未読の方向けにSNSでできるのは作品紹介までにとどまり、他のジャンルで見られるようなオープンな〈考察〉には及ばないというわけです。
以上が、ミステリ(特に小説)がSNS上の〈考察〉で盛り上がりづらい主な理由ですね。
他にも色々とあるのですが、まあ充分に難しさを説明することはできたと思います。
しかしですよ、あくまでも『盛り上がりづらい』だけです。
難しいというだけで、方法はあると、私は考えています。
もっともっと多様なミステリが生み出され、受け手の側もそれを許容し、楽しめるようになることです。
実は、上述してきた〈ミステリが考察で盛り上がりづらい理由〉は、いずれも狭義のミステリにおける話なんですよね。特に、謎がすべて解明されることを重視する考え方は、フェアプレー性を重視する本格ミステリやその系譜上のものです。
これを逆手に取った作品も存在しています。それらは往々にして、アンチミステリと呼ばれます。
たとえば、作中ですべての謎を解明することを放棄したり、あるいは一度解明した後で自らそれを破壊して終わるようなミステリ。このタイプの最高峰は、やはり麻耶雄嵩のアレですね。殊能将之のアレも好きです。あと舞城王太郎のアレ。(ネタバレに配慮してタイトルは伏せます)
あるいは、解明の仕方があまりに複雑なため理解が困難というミステリ。これに関してはネタバレでも何でもなくそういうものですから伏せませんが、代表例は『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』『黒死館殺人事件』の三大奇書でしょう。
こういう作品群は、マジで考察の余地だらけですよ。
ただ、アンチミステリは本格ミステリ以上に、そもそもミステリが好きな人間だからこそ楽しめるという側面が強いです。現に、例示した作品はどれも、ミステリの読者以外に薦めるには少々ヘビーですね。
したがって、「アンチミステリがもっと増えればいい」という極論を述べたいわけではありません。
そんなに難しく考える必要はないでしょう。
謎がすべて解明されているかどうかを絶対の指標とせずに、作者・読者ともにミステリの多様な在り方を楽しんでみたら良いじゃありませんかと、そういうことが云いたいのです。
ミステリって、まだまだ、まっっっったく「やり尽くされて」なんていませんからね。
もちろん私はクラシカルな本格ミステリも大好きです。複雑なアンチミステリなんて大好物です。読み手としても書き手としても、そういうものを継承して進化させていくことに大変な意義があると思っています。
しかしその一方で、「こういうのもアリじゃない!?」「ナシかも知れんけど面白くない!?」と、新たなミステリ観も次々と提示し続けていきたいと、強く考えています。それは私個人の小説でもそうですし、この新生ミステリ研究会の活動でもそうです。
すみません、結局は宣伝なのですが!
今後とも、何卒何卒、私達の活動をチェックしていただければと思います。
そして是非是非、〈考察〉してみてください。一緒に盛り上がってまいりましょう。
[補遺]
・上の文章では、従来のミステリ(特に本格ミステリ)では〈考察〉で盛り上がることはできないと受け取られてしまう懸念がありますので、そうではないということを、お断りさせてください。たとえば、ミステリとして犯人や犯行方法(トリック的な部分)は最終的にすべて明かしつつも、それ以外の、ドラマや背景の部分で〈考察の余地〉を残すという方法があります。もっとも、これは『トリック的な部分』を『本筋』と云い換えれば、ミステリ以外のジャンルにも通じる方法ですし、結構、当たり前に行われていることです。〈考察〉で盛り上がっている作品だって、謎をみんな投げっぱなしにしているのではなく、本筋として明かす部分と、そうではない部分を書き分けていて、尚且つ本筋が面白く、説得力があり、魅力的だからこそ、〈考察〉も盛り上がるというわけです。これと同じことがミステリでもできると思います。
・アニメや映画であれば、ジャンルがミステリであっても〈考察の余地〉は多く、現に盛り上がっています。そもそも映像媒体なので、文字(言語)による説明がすべてじゃないためです。視覚的・聴覚的に表現されたものに対して言語的な解釈を行うことが〈考察〉となるのです。「あの演出はこういう意図だ」とか「あの人物はあの場面でこんなことを考えていたから、ああいう芝居なんだ」とか、そういう視点ですね。やはり小説の、しかもミステリがSNS上の〈考察〉に馴染みづらく、それでいて発展の余地はあるはずだ!というのが本稿の要旨です。
・これから寒くなっていきますから、皆さまお身体には気を付けて。免疫力、高めていきましょう。
以上