新生ミステリ研究会会長の庵字でございます。
このたび、「新生ミステリ研究会」のホームページが開設いたしました。このホームページの作成にあたっては、メンバーの視葭よみさんに大きな尽力をいただきました。視葭さんのスキルなくして、ホームページの開設は不可能でした。また、構成、掲載コンテンツなどの面で凛野副会長にも大きなご協力をいただきました。お二人にはこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
閲覧していただく訪問者の皆様には、読んだ本のご感想や、メンバーへの激励の言葉など、各ページに残していっていただけると大変励みになります。今後とも、よろしくお願いいたします。
こちらの「Column」では、メンバーがミステリに関係することや、ちょっぴり関係すること、あるいは全然関係しないことなど、軽い読み物を、不定期にはなりますが掲載していこうと思っています。
記念すべき第1回は、やはり会長が、ということで、私、庵字が担当します。初回から、いきなりミステリ色の薄い話をするのは憚られますので、ミステリについて書いてみます。
さて、突然ですが、あなたはミステリを書いたことがありますか? これを読んでいただいている方は、ミステリが好きな方であろうと思います。そして、どうでしょうか。読むと同時に、「書いている」(あるいは「書いてみたい」と思っている)という方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。
プロアマ問わず、世の中で「ミステリを書いている」という人は、ほぼ例外なく、書く前は(当然、書き始めたあともですが)ミステリの読者だった、というケースに当てはまるはずです。「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、これは、あまたある文芸ジャンルの中でも、ミステリが非常に特化している部分なのではないかと感じるのです。例えば、それまで小説を一冊も読んだことがなくとも、ファンタジーものならゲーム、ロボットものならアニメ、恋愛ものなら自身の実体験など、そのジャンルで小説を書こう、と思ったきっかけが、必ずしも「小説の読書体験」に限らない、という方は、ミステリ以外では結構な割合でいらっしゃるのではないかと思います。対して、「小説以外がきっかけでミステリ小説を書こうと思い立った」という書き手は少数派なのではないでしょうか。これはおそらく、ミステリという文芸が特殊な構造を有しており、ミステリに日常的に触れてきていなければ、「そうだ、ミステリ、書こう」という思考がそもそも湧きようがないためなのではないか? と私は思います。
私たち「新生ミステリ研究会」の目的にひとつに「ミステリを盛り上げる」というものがあります。その手段は多岐にわたりますが、そのひとつとして、「書き手を増やす」ということが挙げられます。先に書いたように、ミステリの書き手は読み手も兼ねているわけですから、書き手が増えるということは、必然、読み手も増えることになります。この「書き手と読み手が同時に増えていく」というのは、需要だけ、供給だけに偏るのではない、バランスの良い成長の仕方だと思います。ミステリを読んだ方の中の何割かが、自分でも書いてみたい、と思い、さらに何割かの方が実際に書き上げる。それを読んだ方がまた……という、良いサイクルを構築できれば理想です。
先に、「ミステリの書き手は、ほぼミステリの読み手」ということを述べました。ミステリを読まない人がいきなりミステリを書けた、という例は(ゼロではないかもしれませんが)相当なレアケースと言えるでしょう(しかも、傑作をものにしたというなら間違いなく天才です)。では、なぜ、ミステリ作家はミステリ読者からしか生まれないのか。それは、先にも書いたように、ミステリという文芸が、ある程度構造化しているためです。構造を知らない人が、それを元にしたものを書けるわけがありません。飛行機が飛べる理由を知らない人が、飛行機をデザインできるわけがないように。その「ミステリの構造」を理解するためには、とりもなおさずミステリを読むしかない、というわけです。
「ミステリの構造」などという大上段なことを書きましたが、何も特段難しいことではありません。逆に、「ミステリには『構造』があるゆえ書きやすい」とも言えます。あるポイントさえ押さえておけば、ミステリを書くことは容易です。ちなみに、このあたりのノウハウは、当会の合作本『ミステリ・フリークス』「Vol.2」、「Vol.3」にて、菱川副会長が分かりやすく書いてくれています。「ミステリを書いてみたい」と思っている方は、「文学フリマ大阪12」(9月8日開催)にて、ぜひお買い求めください。「Vol.2」、「Vol.3」ともに300円に勉強させていただいております(すかさず宣伝)。
ものすごく乱暴に言ってしまうと、ミステリという文芸は「科学実験」のようなものです。再現性に長けた文芸です。ネタ(トリック)さえ用意でき、「構造」さえ分かっていれば、誰が書いても「ミステリ小説」という結果は得られるのです。「ネタ(トリック)の用意」という準備こそ必要ですが、人(作家)によっては書きながら並行して考える場合もあります。この「ネタ出し」も、書いていく(考えていく)うちに慣れていきます。大丈夫です。このあたりの「ネタ出し」の秘訣も、「Vol.2」掲載の菱川副会長のエッセイに書いてあります(ここでも宣伝)。
もしかしたら、私が「構造」という言葉を使ってしまったためもあり、「ミステリというものは、提示された謎が解かれるだけの、推理クイズの延長にある無機質な文芸なのだ」と思われた(そう思っている)方もいらっしゃるかもしれません。が、それは違うと声を大にして言いたい。ミステリだって「小説」です「文芸」です。自作を「推理クイズ」だ、などと思っている書き手なんていませんし、ミステリとはいえ(いえ、ミステリという、ともすれば無機質に見られがちなジャンルだからこそ)書き手は自作を「小説」「文芸」たらしめようとします。この「推理クイズに甘んじない、ミステリのありかた」は、『ミステリ・フリークス』「Vol.3」掲載の凛野副会長のエッセイで言及されています。ぜひご購入ください(またまた宣伝)。
「ミステリを書く」そのために必要なことは、やはりミステリを読むことです。ミステリの書き手にとって、既存作品を読むというのは、もちろん、趣味として楽しむためでもありますが、創作のための研究という側面も持ち合わせています。ミステリを読み、書いていくうちに、もしかしたら、この「研究」という方面に興味の舵を切る方もいらっしゃるかもしれません。そんなあなたには、「Vol.3」掲載の視葭さんのエッセイが大きな指針になります。ぜひご購入ください(さらなる宣伝)。
書き手にとって、既存のミステリを読むという行為は、試験の「過去問」に目を通しているような感覚でもあります。試験勉強でもっとも有効な手段は、過去問を解きまくること、とよく言われます。どんなに出題される問題を予測しようが、「過去に実際に出題された」という実績を持つ過去問にはかないません。結局のところ、ミステリを書けるようになる最短の道は、ミステリを読む、これに尽きます。
というわけで、皆さん、ミステリを一緒に盛り上げていきましょう。ミステリを読みましょう。そして、書きましょう。その際には、『ミステリ・フリークス』を執筆のお供として、お手元に置いていただけたら、これほど嬉しいことはありません(ラストに宣伝)。