


コラムを更新しました:偉大なる横溝正史!新生ミステリ研究会メンバーのおすすめ作品をご紹介!

偉大なる横溝正史!新生ミステリ研究会メンバーのおすすめ作品をご紹介!

この作家なくしてミステリなし。アガサ・クリスティーは、ミステリ史を飾る大きな存在です。そんな彼女の豊かな作品のなかから、新生ミステリ研究会メンバーがネタバレなしのあらすじと読みどころを今回ご紹介します!(敬称略。あいうえお順)
★『スチュムパロスの鳥』(庵字)
突然ですが、ミステリ作家は「短編向き」と「長編向き」に大別されると思います。今回、おすすめ作品を挙げるレジェンド作家、アガサ・クリスティは、それはもう圧倒的に「長編向き」です。クリスティの傑作、名作と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。『そして誰もいなくなった』『ABC殺人事件』『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『ナイルに死す』……まあ、ほとんどの方が長編を挙げるはずです。これには私もまったく異論はありません。人類史が続く限り永遠に読み継がれるべき名作だらけです。ですが、私は短編ミステリが好きで、しかもひねくれている人間なので、ここはあえて短編を紹介したいと思います。
シリーズ探偵、エルキュール・ポアロものの短編集『ヘラクレスの冒険』に収録されている一作です(ちなみに、私は「ポワロ」表記派なのですが、翻訳に従ってここでは「ポアロ」と書きます。というのも、この『ヘラクレスの冒険』は、ハヤカワが独占翻訳権を所持しているため、他の出版社から本作の日本語版が出ることはありえないからです。日本語版『ヘラクレスの冒険』で「ポアロ」と表記されている以上、この本について語る場合は「ポアロ」と表記しないとおかしなことになってしまいますから)。
この短編集は、いわゆる「連作短編集」です。作品は、そろそろ引退を考えていたポアロが、自身と同じ名前を持つギリシャ神話の英雄「ヘラクレス」が挑んだ「ヘラクレス12の難業」になぞらえて、「あと12の事件を解決する(そして引退する)」と決めたことが語られる序章「ことの起こり」から始まります。しかも、ただ12の事件を解決するというだけではありません。挑む事件自体に、「ヘラクレス12の難業」に関連した要素がなければならないというのです。そんな都合のよい事件がそう立て続けに起きるはずがありませんから、ポアロは新たな事件に遭遇するごとに、「この事件のこの要素は“難業”のこのファクターに一致していなくもないぞ」といった具合に、半ばこじつけで事件に挑んでいきます。
「スチュムパロスの鳥」は、この難業の「第六」に位置づけられる事件です。
●あらすじ
外国で休暇をとっていた英国の若き政治家、ハロルドは、投宿先のホテルで、ライス夫人という中年女性と、その娘、クレイトン夫人の母娘と親しくなる。
ほかの宿泊客にはまったく無関心のハロルドだったが、ある日、湖に続く道から歩いてきた二人の女性に注意を引かれる。五十近い年齢で、顔がそっくりなことから双子だと思われた。鳥のくちばしのような長い湾曲した鼻を持ち、両肩に羽織ったマントを風にはためかせて歩く二人のその姿を見たハロルドは、「凶兆の鳥だ」と心の中でつぶやいたのだった。
その後、ハロルドは、ライス夫人から、娘のエルジー(クレイトン夫人)は人でなしの夫に縛られて怖い思いをしており、まもなくその夫がホテルにやってくるらしい、ということを聞かされて……。
●おすすめポイント
「ポアロが出てこないじゃないか」という感想もごもっとも。この話はハロルド視点で描かれているため、事件が起きてからポアロが登場するという構成になっているのです。「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」のような「倒叙もの」に似た形式ですが、視点人物が犯人ではない事件関係者であることが違っています。
同じホテルに投宿していたポアロは、ハロルドから事件のことを聞いた際、「双子の女性が鳥のように見えるから、この事件は“スチュムパロスの鳥”だ」と解釈し、これを自身に課した「12の難業」であるとして事件に介入することになります(全編、こんなこじつけばかりです 笑)。
読む人によっては「アンフェア」な記述がある、とされる部分もなくはないですが、短い中にミステリのエッセンスがぐっと凝縮された逸品だと思っています。
ちなみに、見事「12の難業」を制覇したポアロが、最後に宣言どおり引退したのかというと……そんなことは全然ありません(笑)(そもそも我々はすでに、ポアロ最後の事件は『カーテン』だと知っていますからね)。難業最後の事件「ケルベロスの捕獲」が終わったところで、本短編集自体もぷつりと幕を閉じてしまいます。「自分はまだまだやれると思ったので引退は撤回する」とポアロに言わせるといった「エピローグ」もありません。まるで、「この事件で引退する」という宣言など最初からなかったかのようにです。都合の悪い設定をあとで「なかったこと」にした漫画やアニメのようです。
本作が刊行されたのは1947年です。すでに『アクロイド』(1926年)『オリエント』(1934年)『ABC』(1936年)『ナイル』(1937年)といったそうそうたる名作が書かれたずっとあとです。すでに一大ブランドとなった名探偵ポアロ最後の事件とするには相応しくないと判断して(『ヘラクレスの冒険』はクリスティの著作の中では、正直あまり出来の良い作品とはいえません)、引退宣言を「なかったこと」にしたのか、「引退宣言」自体が洒落のようなものだったのか、それは分かりません。
★『ABC殺人事件』(尾ノ池花菜)
●あらすじ
名探偵ポアロのもとに挑戦状が届く。その挑戦状のとおり、Aから始まる名称の町でイニシャルがAの女性が殺された。死体の傍らには、イギリスで広く使われている「ABC鉄道案内」が添えられていた。ほどなくして、Bの町でBが、Cの町でCが殺された。猟奇殺人か、犯人の意図とは。見立て殺人の古典がここにある。
●おすすめポイント
ABCの見立て殺人! 日本でいうところの、足立区の相川さんを殺し、伊豆大島の伊藤さんを殺し、宇部士の鵜飼さんを殺し、といった調子で進んでいく殺人事件。A、B、Cの名前のつく町にいるA、B、C…の名前を持つ各被害者を、愉快に殺していくサイコパス殺人かと思いきや、意外な真相と結末が面白い。それはある程度トリックを分かっていたとしてもやはり面白い。木を隠すなら森の中!ということわざがぴったりな本作。
★『オリエント急行の殺人』(菱川あいず)
●あらすじ
ポアロが乗っていた寝台特急『オリエント急行』が雪の影響で立ち往生する。『オリエント急行』の車内で起こる殺人。被害者である富豪の男の身体には十二個もの刺し傷が。完全に密閉された空間での限られた容疑者。しかし、容疑者にはいずれも崩し難いアリバイがあって……
●おすすめポイント
なんといっても、驚天動地のトリックです。アガサはミステリの基礎を築いた人物でありながらも、ミステリを根本から破壊するような奇想を持っていたということがよく分かります。今もなお『かの名作じゃあるまいし』という形で、ミステリ界隈でイジられ続けてる(?)名トリック。忘れようと思っても絶対に忘れられない作品。
★『葬儀を終えて』(樹智花)
●あらすじ
富豪リチャード・アバネシーの葬儀後、莫大な遺産が親族6人に均等分配されると発表された。その席で妹のコーラが「リチャードは殺されたのでは」と無邪気に口にする。普段から突飛な発言をする彼女の言葉はその場では軽く受け流されたが、翌日コーラは自宅で惨殺される。遺言執行者で弁護士のエントウイッスルは疑念を抱き、名探偵ポアロに調査を依頼する。
●おすすめポイント
クリスティーは言うまでもなく、本格ミステリにおける「騙し」の技巧が卓越した作家である。
有名作の影に隠れがちな本作だが、本作にはその技巧がこれでもかと凝らされている。
「何気ないひとこと」や「何気ない描写」にさりげなく二重の意味を持たせる、これは本格ミステリの基本のひとつでもあるが、実際に使いこなすのは難しい。「あの描写/台詞はそういう意味だったのか!」という驚きや納得も本格ミステリを読むうえでの醍醐味のひとつだが、この「さりげなさ」を意図的に演出するには相当の技術を必要とする。クリスティーはその技術を自由自在に操る魔術師である。
ミステリ評論家の飯城勇三は、本格ミステリにおいて、エラリー・クイーンは「意外な推理」を描き、クリスティーに代表されるその他の本格ミステリ黄金期の作家は「意外な真相/犯人」を描いた、と説く。
クイーンの描く「意外な推理」がきちんと物語と調和しているように、クリスティーの描く「意外な真相/犯人」も物語から浮かずにきちんと調和したうえで、「意外な真相/犯人」と物語の両方を最大限に活かすような演出をおこなっている。
クイーンの作品においては、「探偵の推理やその過程を読者が推理する」という特殊な構図を取る。一方で、クリスティーの作品は「物語の犯人やトリックを読者が推理する」という一見典型的な本格ミステリのようにみえるだろう。
ここでクリスティーが卓抜していることは、読者が「推理する」過程が物語を楽しむ過程と同時進行し、推理という楽しみと同時に「良い物語を読んだ」という満足感も得られるところにある。クリスティーはエンターテイナー、ストーリーテラーとしても別格の才能を持っているのである。クリスティーの読者にとって、これは言うまでもない事実だろう。
クリスティーを読む、ということは「物語を読むこと」それ自体の楽しみを知ることとも同義なのである。
★『春にして君を離れ』(凛野冥)
●あらすじ
自らが築き上げてきた家庭、そして人間関係に満足している、ひとりの女性。彼女は一人旅の途中、荒天によって、砂漠の中にあるレストハウスに数日間の足止めを食らう。自らの生涯を回想するなかで、彼女はふと疑惑を抱く。彼女の身の回りにいる人々は、果たして、本当に彼女が思っているように、彼女を愛し、尊敬し、感謝しているのだろうか。彼女の人生に潜んでいた、いくつもの欺瞞と錯誤。崩壊していく幻想の果て、この世の真実が浮かび上がる。
●おすすめポイント
本作は正確にはメアリ・ウェストマコット名義で発表された作品ですが、私にとって特別中の特別です。世の人間関係というものにおいて、どこまでもありふれている、各人の腹の中に渦巻いた哀しく醜いある感情と、それにまつわる底なしの猜疑を完璧に描いています。本書の結末は、それまで言語化できないでいた人間関係の遣りきれなさを、あまりにも恐ろしく切なく印象づけた衝撃のそれであり、この小説を私は忘れることができません。そう。小説というのは、こういう結末を描くことができるのです。これぞ小説。これは、あなた本人か、あなたの周りにいる誰かについての物語です。もしも全人類がこれを正しく読んでくれたなら、世界はもう少し慎ましく、生きやすくなるでしょうか。
★『そして誰もいなくなった』(視葭よみ)
●あらすじ
資産家オーウェン夫妻によって面識のない10人の男女が絶海の孤島に集められた。ホストである夫妻が不在のまま館で初日の夕食後を迎えたとき、蓄音機から流れ始めた謎の声によって10人みなが過去に人間を死なせた経験があると暴露された。まもなく各客室にあった古い童謡『小さな兵隊さん』になぞらえてひとりずつ殺害されていくたびに、ダイニングテーブルに飾られていたはずの10体の兵隊の置物がひとつずつ消えていき、そして……
●おすすめポイント
アガサ・クリスティが著した最高傑作のひとつ『そして誰もいなくなった』は芸術作品であり、1939年発表から時を経てもなお燦然と輝く名作です。
先達たちの虎に威を借りれば本作の評価も素晴らしさもお伝え出来ますが、不得手ながらこの場をお借りして、徒然なるままに書いてみます。今更わたしがおすすめするまでもありませんので。
本作は、アガサ・クリスティによって新聞連載されました。高度で人工的なプロットから紡がれる精巧な伏線配置が導く物語は、ミステリ好き垂涎の要素が詰め込まれたうえで状況や相関関係が目まぐるしく変わり続けてページをめくらせる推進力がさいごまで衰えません。紛うことなきミステリ史においても多大なる意義を持つ屈指の作品です。
ゆえに、評論家や読者によって分析されたり考察を重ねられたりしてきました。犯人当てに挑戦されるのもどんでん返しを期待されるのもミステリが醸成してきた文化ですし、避けられない取り扱いや評価です。
ただし、ミステリ史屈指の名作ですからね。せっかくなら、その時点で思考を留めずに方向を変えて鑑賞に移行してほしいです。
マイナスでもプラスでも自身の感想や考察を振り返ってなぜそう思ったのか、なぜこの展開と構成なのか、どうしてこの言葉選びなのか……読了後しっかり時間をかけて考えてみると案外おもしろいですし、そのような楽しみかたすら許容できる質実剛健な作品です。
だからこそ、クリスティ生誕135周年を機に、あなたも是非『そして誰もいなくなった』を心ゆくまで鑑賞するのも一興ではないでしょうか。
***
いかがでしたか。ぜひ騙されたと思って読んでみてください。
ところで、5月22日(木)20:00~ ZOOM読書会アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』を行います。ドタ参・ドタキャンOK!聞くだけでもOKですので、ぜひご参加ください!
参加URL: https://us06web.zoom.us/j/82464235883?pwd=2VZJuI2iWJvbo9hbIQNWGZm2yazMAL.1…