『Mystery Freaks Vol.5』
新生ミステリ忘年会_2025
みなさん、ご無沙汰しております。
樹です。
今回のコラムでは、推理小説における推理の形式を、論理的推論の観点から見てみようと思います。
ここからは導入ですが、みなさんは「論理的推論」といわれた際に、どのようなものを思い浮かべますか?
演繹的推論でしょうか? それとも帰納的推論でしょうか?
そして、推理小説における論理的推論は、どのような形で言い表すのが一番近いでしょうか?
最初に、「論理的推論」について考えてみましょう。
論理的推論とは、前提と結論から成り立つ推論のことで、前提とは推論の根拠となる知識や情報、データのことです。
また結論とは、与えられた知識や情報、データを根拠に下される判断のことを指します。
一般的に、論理的推論は演繹(deduction)と帰納(induction)の二種類に分類されます。
学問としての論理学においては、演繹的推論が重視されます。
演繹とは、形式的構造を持ち、推論の具体的な内容を考慮に入れずに、推論の形式のみから、真の前提から真の結論が必然的に導かれる論理形態のことです。
これだけだとなんのことやら、といった感じでしょうが、(-1)×(-1)=1の証明を、環論の定義から導き出すことをイメージしていただくといいかもしれません。
他に例を挙げると、抽象数学などがここに入ってくるでしょうし、論理学のNK(エヌカー)演繹図という証明法もここに入ってくるでしょう。
演繹とは対照的に、帰納的推論は経験に基づく蓋然的推論です。
限られた経験から、一般的なことを述べる推論のことです。
部分から全体、特殊から普遍的事項を述べることができますが、あくまで経験に基づいたもので、逆に経験による反証・反論にもさらされます。だから、「蓋然的推論」なんですね。
ここで本題に入ります。
推理小説における論理的推論が演繹であれば、それは内容を問わず(例えばAさんが何時に何をしたなどの具体的な事例に左右されず)、推理の形態が形式論理学的に進み、それが正しければそれが真の解決となります。
真に数学・論理学的な推理って、みなさんは本格ミステリを読んだ経験のなかで見たことがないと思います。それって、実はただの抽象数学の学術書と同じですからね。
では帰納的推論はどうでしょうか。
例えば、「Aさんは普段朝7時に起きるからアリバイがある」「Bさんはいつも8:19の電車に乗るから犯人ではない」「Cさんは身長が高い。だからCさんの親類も背が高いはずだ」……たまに使用されると効果を生みますが、常にそればかりだと「推理小説として成立しているのか?」と疑問が浮かびます。
ここで三つ目に登場する論理的推論形態が、「アブダクション」(abduction)というものです。
これはチャールズ・S・パースという学者が考案したもので、優れた発見性のある推論ですが、可謬性が高く(間違っている可能性も高く)帰納より推論的に弱い蓋然的推論のことです。
平たくいえば、前提から導かれる論理的な発想の飛躍、とでも呼べるでしょうか。
発想の、あるいは推論の飛躍であるからこそ、都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか』で述べた「論理のアクロバット」が起こりやすいともいえますが、アブダクションだけだと推理の穴も当然できやすいですね。
演繹は推理小説においてほぼ使えないとみていいでしょうが、帰納とアブダクションをうまく融合させれば、説得力がありかつアクロバティックな推理を生み出すこともできるでしょう。
ここまで抽象度の高い話をしてきましたが、推理小説における推理の面白さの肝は「帰納+アブダクション」の使いようだ、ということが書きたかったわけです。
以下にこのコラムを書くにあたって私が参照した書籍のURLを掲載しておきます。
ご興味があれば、一読してみるのもいいかもしれませんね。
樹でした、それではまた。
参考文献
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b651771.html