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『オツベルの密室』

【著者】庵字

【あらすじ】
宮沢賢治の小説「オツベルと象」の主人公オツベルと称される会社社長が、花巻市内の 自宅で死体となって発見された。現場は密室で、死体の腹部には象牙が突き立てられていた。「象に殺されたオツベル」これは「オツベルと象」の見立て殺人なのか? イベ ントのゲストとして花巻市を訪れていた素人探偵、安堂理真は、岩手県警からの依頼を 受けて事件捜査に乗り出す。表題作を含め四編収録の本格ミステリ短編集。

【販売】
文学フリマ(岩手11、札幌11)

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オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなったよ。

宮沢賢治「オツベルと象」

……あるワトソンがものがたる

第一章 オツベル密室に死す

 ——きのとときたら大したもんだ。
 彼の周囲の人間たちは皆、そう口を揃えて感嘆の声を上げる。ただ単に乙が資産家の経営者であるという理由からだけではない。そもそも、彼が所有する会社は、今は亡き父親が一代で築いたものをそっくり受け継いだだけであり、彼自身の手柄ではない。それでも彼のことを〝大したもんだ〟と褒めそやす。そのわけは、彼の名前に由来している。
 乙鐘像しようぞう——この姓名に加えて、彼が経営する——父親から引き継いだ——アパレルメーカーの大規模工場を、岩手県花巻市に建設したことも要因となっていることは間違いないだろう。〝乙〟は〝おつ〟とも読め、名前の一字である〝鐘〟は〝かね〟すなわち〝bellベル〟続けて読めば〝オツベル〟となる。岩手県花巻市に生を受けた作家で詩人、宮沢賢治みやざわけんじの著作のひとつ「オツベルと象」の主人公と同じ名前になるというわけだ。奇しくも作中のオツベルも資産家であり、その奇妙な符合をして、尊敬と、若干のからかいの念から皆は彼のことを〝オツベル〟と渾名あだなし、「オツベルと象」作中でオツベルがそうされていたように〝大したもんだ〟と褒めそやす。残る漢字一文字に〝象〟が入っていることも、出来すぎている偶然だった。
 名付けたのは、鐘像の父親である乙憲像けんぞうだが、彼は芸術品、工芸品などを蒐集鑑賞することが唯一の趣味で、文学方面には縁遠い人物だったというから、宮沢賢治というビッグネームを知ってはいても、「オツベルと象」を読んでまでいた可能性は低い。加えて、乙家自体も岩手はおろか東北方面にはいっさい縁もなかったため、故意に息子の名前を〝オツベル〟と読めるように付けたということは考えがたいだろう。
 この、乙鐘像の名前についての奇妙な符合は、彼の生涯まで尾を引くこととなった。というのも、作中のオツベル同様、乙鐘像も〝象〟に殺されたと見られたためだ。といっても、本物の象によって「くしゃくしゃに潰」されたわけではない。彼の死体は、あるもので腹部を刺し貫かれているという凄惨な状態で発見された。乙鐘像の体を貫いていたもの、それは、父親から受け継いだ蒐集品のひとつ、長さ一メートルに達する見事な象牙だった。さらに、彼が死んでいた部屋は、発見時、密室と化していたのだ。

 花巻市の図書館で開かれた〝混迷の時代にイーハトーヴォの風は吹くか〟と題する文学イベントのゲストとして、安堂理真あんどうりまの名が連なっていることに違和感は拭えない。現代を舞台にした恋愛小説を主とする彼女の作風は、最大限譲歩したとしても、賢治のイーハトーヴォ世界観と親和性が高いとは言いがたいだろう。が、もちろんこれにはわけがある。本来のゲストには、児童文学を専門にしていて宮沢賢治にも造詣が深い作家が予定されていたのだが、その作家の海外取材旅行と本イベントとがブッキングしてしまったため、知り合い作家である理真が代打として指名されたというわけだ。児童文学専門とまではいかなくとも、もっと親和性の高い作風を持つ書き手はほかにいたはずだが、抱えている締め切りなどの関係で調整がつかなかったのだと思われる。当初は渋っていた理真だったが、海外製高級コスメのお土産に釣られてしまい(代打を頼んできた作家も、理真と同年代の女性なのだ)、急遽、書店で買い込んだ賢治作品を読破したうえでイベントに臨むこととなったのだ。
 が、結果として理真のイベント参加は功を奏したと言ってよいかもしれない。付け焼き刃とはいえ、賢治の世界観と自身が得意とする恋愛小説とを関連させた講談が思いのほか受けたというだけではない。イベントを終えて帰り支度をしていた理真のもとに、岩手県警より、殺人事件捜査協力取り付けの連絡がもたらされたからだ。乙鐘像殺害事件の。

「……というわけでして、岩手県警としては、ぜひとも安堂さんに捜査へのご協力をお願いできないかと。もちろん、新潟県警に話は通してあります」
 事件の概要を話し終えると、岩手県警捜査一課の谷口たにぐち刑事は大きな体を折りたたむようにして頭を下げる。理真から捜査協力要請快諾の返事を聞くと、「感謝いたします」谷口刑事は起こしたばかりの体をもう一度折った。イベントさえ終わってしまえば、理真は——当然私、江嶋由宇えじまゆうも——自由の身だ。
「では、さっそく現場へ案内いたします。詳しい話は覆面パトの中で……」
 谷口刑事によって、理真と私は岩手県警覆面パトの後部座席へといざなわれた。
「現場までは三十分といったところです」
 運転席に乗り込んだ谷口刑事は、そう言うなりエンジンをかけた。
 それにしても、ここ岩手県にまで理真の名前が轟いていたとは驚きだ、と舌を巻いていたのだが、実は轟いていたというわけではなかったことが後日判明した。あとから確認した話によれば、岩手県警交通課に、一昨年に新潟県警から異動してきた刑事がいて、「管内で密室殺人事件発生」の報を耳にするや、「そういえば、花巻市で開催されている宮沢賢治のイベントに安堂理真が来ているらしい。捜査協力を要請してみては」と知り合いの捜査一課刑事に進言したのだという。「その、安堂理真とは何者か?」との一課刑事の疑問に対して、「新潟県警管内で数々の不可能犯罪事件を解決に導いてきた民間探偵だ」と回答がされ、そういうことであれば、と県警がイベント主催者に連絡したということだ。連絡をくれた刑事は、「ところで、どうして探偵の安堂さんが賢治のイベントに参加されているのですか?」と訊いてきたという。くだんの刑事は、理真のことをあくまで〝探偵〟としか認識していなかったらしい。〝民間探偵〟とひと口に言っても、その内訳は、探偵活動自体を生業とした職業探偵と、本業を別に持ちながら探偵活動を行っている素人探偵の二つに分類される。理真は作家が本業の素人探偵なのだが、作家として特に名を馳せているわけではないため、安堂理真の名を聞き、ああ、あの作家の、という反応を見せてくれる関係者は希少だ。本業が暇であるからこそ、こうして警察からの捜査協力要請をほいほいと(?)受けていられるわけだが。
「なるほど、江嶋さんは、安堂さんのワトソンということなんですね」
 事件の話に入る前に、軽く自己紹介を終えると(初対面時、安堂理真が探偵だということは分かったが、隣にいるお前は誰だ? という視線を送ってきた谷口刑事に、とりあえず「友人です」としか返していなかったため)、ハンドルを握る谷口刑事は頷いた。友人であり、ワトソンであり、大家と店子であり、もとを正せば高校時代の同級生であり……。とにかく、私がいつも理真と行動を共にしていることは確かだ。理真が仕事で遠出をする際にも、こうしてだいたい私もくっついていくことがほとんどだし。それにしても……少し前の京都といい、東京といい、大阪といい、行く先々で事件に遭遇するというのは、理真が持つ探偵としての磁場のなせるわざなのか。歴代のレジェンド探偵たちがそうであったように。
 自己紹介を終えると、話は事件の詳細へと移った。

 乙鐘像の自宅は花巻市郊外にある。独身の彼は父親から受け継いだ広い邸宅を持て余し気味だったためか、知人や親族をよく泊まりに来させ、夕食会などを催していたという。事件が起きたのは昨夜のこと。このとき、鐘像の邸宅には四人の泊まり客が訪れていた。
 泊まり客たちの証言と通報の記録をもとに事件の状況をまとめると、以下のようになる。
 昨日の午後六時半過ぎ、乙玲治れいじは邸宅内で鐘像を捜していた。この乙玲治というのは、名字が同じことから察せられるように、被害者、乙鐘像の親族——従弟いとこ——である。鐘像を捜していた理由を玲治はこう説明している。
「少し早いけれど夕食を出してもらおうと思ったんです。ここに泊まるときの食事は、全員が食
堂に集まって摂ることになっていましたから、家の主である鐘像の諒解を得ないと、と思って」
 鐘像の家での夕食の時間は、いつも午後七時前後と決まっていた。玲治はこの日の朝、胃腸の調子が悪く、朝食は抜いて昼食もほとんど口にしなかったのだが、夕方になって胃腸が調子を取り戻すと一気に空腹感に襲われたのだという。鐘像は自室にもリビングにもおらず、捜すうちに玲治は、一階にある〝蒐集室〟と呼ばれる部屋の前まで来ていた。この部屋は、その名のとおり、鐘像の父、憲像が人生で蒐集した美術品や工芸品などが集められている部屋だ。憲像は生前、この部屋のアンティークな椅子——これもコレクションのひとつだった——に腰を下ろし、酒を舐めながら蒐集品を眺めまわすことを楽しみにしていたという。
 ——鐘像はこの蒐集室にいるのではないか。そう思い、玲治は部屋のドアへ足を向けた。鐘像も、父親同様、この部屋で好きなブランデーを嗜みながら、価値ある、あるいは珍しい、古今東西の品々の鑑賞を楽しみとしていることを知っていたからだ。ノブを掴み、ドアを引き開けようとした玲治だったが、しかし、ドアは動かなかった。施錠がされていたのだ。まず玲治は訝しんだという。というのも、この蒐集室に施錠がされていたことなど玲治の記憶になかったためだ。訝しむと同時に、この中に鐘像がいると玲治は確信した。鐘像はこの部屋にいて、中から鍵を掛けているのだろうと。そう考えれば、ドアに施錠がされていることの説明はつく。ノブから離した手で玲治はドアをノックし、「鐘像」と呼びかけた。が、数回に及ぶノックにも、呼びかけにも、一向に反応はない。
 そこへ、加瀬志郎かせしろうが姿を見せた。彼は鐘像が経営するアパレル会社の社員で、三十代前半と若いが、鐘像がその才覚を認めており、将来の幹部候補、また、鐘像が引退したあとの次期社長、とまで気の早い噂が社内に流れているという男だ。鐘像の憶えがよい加瀬は、この日のように、鐘像の邸宅に招かれることが何度かあった。
「どうかしましたか」加瀬が問いかけ、
「鍵が掛かっているんです」玲治が答えると、
 えっ? と加瀬は声を上げた。彼もまた、何度もこの邸宅を訪れているが、蒐集室に鍵が掛かっていたことなど見たことがなかったと証言しているため、玲治と同様の理由で訝しんだのだという。さらに、中に鐘像がいると思うのだが、ノックにも呼びかけにも応じない、という玲治の言葉を聞くと、えっ? ともう一度声を上げてから加瀬は、
「どうしてこの中に社長がいると?」
 玲治は、邸宅内で鐘像を捜し回っているが、もう残っているのはここくらいしかないのだ、と説明した。……それは確かに変ですね。加瀬が首を傾げたところに、
「なにかあったんですか?」
 宿泊客のひとり、楠鳥薫くすとりかおるが廊下を歩いてきた。花巻市内の飲食店に勤めており、鐘像とは婚約関係にある女性だ。彼女の存在は公然と社内にも知れ渡っており、口さがない社員たちのあいだでは、楠鳥が鐘像よりも二十歳近くも若いこともあって、金目当ての婚約なのではないか、という下世話な噂が絶えないらしい。
 二人が事情を説明すると、楠鳥も首を傾げた。彼女もここへは何度も来ており、蒐集室には通常施錠などされていないことは承知していたという。
 閉ざされたドアの前で大人三人が集まっているところに、ひとりの子供が近づいてきた。
里依太りいた」と、玲治は、その男の子——彼の息子である乙里依太の名を呼び、「里依太、鐘像おじさんを知らないか?」尋ねられると、里依太は無言のまま首を左右に振った。
「電話をかけてみますか」
 加瀬はスマートフォンを取りだすと、すぐに鐘像の番号に発信する、その直後、聞き慣れたメロディが流れてきた。スマートフォンの着信音、それも鐘像が使用している機種のものだった。皆の顔が一斉にドアを向いた。その着信音は、蒐集室の中からドア越しにくぐもった音を響かせていたためだ。
「やっぱり、中に鐘像が」
 玲治は再び拳をドアに打ち付け始め、従弟の名を呼びかけて、「鍵は?」振り向いて訊くが、
「社長が持っているんじゃないですか?」加瀬は答え、楠鳥も、わかりません、と首を振った。
 その間も室内から響き続けていた着信音がようやく収まった。応答されたわけではなかった。留守番電話に切り替える旨のアナウンスが加瀬のスマートフォンから流れた。
「どうしますか? 玲治さん……」不安そうな表情で楠鳥が訊くと、
「……ドアを破るしかないか」
「出来ますか?」
 加瀬の疑問も無理はなかった。ドアは厚い木製で、おまけに外開き。とてもではないが、人間が体当たりを仕掛けて破れるような代物でないことは誰の目にも明らかだった。さらには、この蒐集室は元々倉庫として使用されていた部屋のため窓はない。いや、ひとつだけあるにはあるが、それは縦に細長い小さな換気用の窓で、室内からでなければ開けることは出来ないうえ、人がくぐり抜けられるような大きさでもなかった。
「……消防を呼ぼう」
 玲治はスマートフォンを取り出すと、119番通報をした。通信指令センターの記録によれば、午後六時四十五分のこと。
 数分後に到着した消防隊員が打ち下ろした斧によって、蒐集室のドアは破られた。ちなみに、このとき消防隊員も、ドアには確かに施錠がされていたことを確認している。室内にいち早く躍り込んだのは、同行してきた救急隊員だった。そのあとに消防隊員、玲治たちと続き——楠鳥の悲鳴が蒐集室にこだました。玲治は従弟の名を絶叫し、加瀬は呆然と立ち尽くす。室内にあるテーブルの陰に屈み込んでいた救急隊員は、すぐに警察を呼んだ。事情を理解した消防隊員が、押し出すように玲治たち四人を蒐集室から退去させる。立ち上がった救急隊員の足下には、死体が、腹部に象牙が突き刺さった状態の乙鐘像の死体が横たわっていた。
「鐘像さんの死体に突き刺さっていた象牙は、長さ一メートル、重さは十キロ程度もある立派なものでした」
 事件発覚についての説明を、谷口刑事は、そう締めくくった。
「象牙は、殺された鐘像さんの——正確には、その父親の憲像さんのですか——蒐集品だったわけですね」
 理真が訊くと、ええ、と谷口刑事は、
「鑑定の結果、本物でしたよ。さすがは乙憲像といったところですね」
「それにしても、あまりに異様な凶器ですよね」
「ええ。それと、象牙から指紋が検出されなかったんですよ」
「持ち主の鐘像さんの指紋もですか?」
「そうです。観賞用とはいえ、少しは撫でたりもするでしょう。宿泊していた皆さんにも訊いたのですが、みんなあの象牙に一度は触れたことがあると言うし、鐘像さんも特に頻繁に手入れするですとか、そういったことはしていなかったんじゃないかと言っています」
「ということは、犯行時に犯人が拭った可能性が高い」
「はい。とはいえですね、あれが〝凶器〟かどうかは、実は決めかねているところなんです」
「どういうことですか?」
「確かに、鐘像さんの腹には象牙が突き刺さってはいたのですが、その傷口から生活反応が出ていないんですよ」
「生活反応が出ていない……。つまり、鐘像さんの死因は別にあると?」
「検死の結果、他に外傷は見られませんし、体内から毒物や薬物も検出されませんでした。痕跡の残らない心不全などで死んで、象牙はそのあとから突き刺されたのか。あるいは、傷や内臓の状態から見て、象牙はかなり無理やりに腹部に突き刺された可能性が高いということですから、死因は象牙によるものではあるとしても、一度突き刺されて絶命したのち、さらに深く象牙を突き込まれた、ということも考えられます。それならば死亡時よりも傷は広がりますので、その広がった分の傷口は死後に付けられたものとなるわけで、結果、生活反応が出なくとも納得は出来る、というわけです」
「なるほど……。とはいえ、犯人の意図するところを理解するのは難しそうですね。どうして象牙なんていう異様な物品を凶器に使ったのか、という」
「現場となった蒐集室には、もっと人を殺傷するのに適したものがたくさんありましたよ。工芸品の短剣とか、ちょうど鈍器とするに手頃な彫像とか」
「その中でも、あえて象牙が選ばれた……」
「謎です。安堂さんにご出馬願った理由のひとつです。しかも、謎はそれだけじゃなくて……」
「現場は、密室だったとか」
「そうなんです。正直、こっちのほうが頭が痛いですよ。変な凶器くらいなら、犯人がおかしなやつだからとか、変なこだわりがあるからとか、つけようと思えば、いくらでも理屈はつけられますが、密室みたいな物理的な問題はそうはいきませんからね。話したとおり、現場の出入り口はドアしかなく、窓がひとつあるにはあるのですが、とても人が通り抜けられる大きさじゃないんです。まあ、口で説明するよりも、実際に現場を見てもらえば文字どおり一目瞭然です。……そろそろ着きますよ」
 谷口刑事が大きくハンドルを切ると、私たちを乗せた覆面パトは、広い道路から乗用車がすれ違えるかどうかというくらいの狭い道に入る。蛇行するその道を少し進むと、一軒の邸宅が見えてきた。敷地全域を背の高い塀に囲われた洋風建築。それが乙鐘像の邸宅だった。

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