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”探偵小説”の終わりなき文脈探しの旅をしよう!

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ということで、春といえば?
そう、問答無用でシーラカンス探しです。だんだん白くなっていく山際は最高ですからね。
行く先々でブルータスに先回りされて荒んでいるわたしですが、やはりどうしてもミステリにおけるシーラカンスに会いたいのです。
本コラムを要約すると、最初に”探偵小説”と銘打たれた小説はどちらさまだろう(未解決)&作者当て楽しいよね(感想)という文章です。よろしくお願いいたします。
さあ、着いてきてくださいませ。


実は、わたしは”探偵小説”という言葉の初登場を知りたいお年頃でしてね。
1841年に発表されたエドガー・アラン・ポー『The Murder of Rue Morgue』が竹の舎主人/饗庭篁村(1855.09.25-1922.06.20)による初邦訳『ルーモルグの人殺し』として読売新聞に1887年12月(14日、23日、27日、30日)に掲載されたとき、『ルーモルグの人殺し』は”西洋小説”と紹介されています。
1887年に発表されたコナン・ドイル『A Study in Scarlet(緋色の研究)』を参考にして毎日新聞(合併を経た、横浜毎日新聞系列)にて1899年に無名氏が邦訳した『血染ちぞめかべ』は、”探偵小説”と銘打たれて連載されています。
1925年『D坂の殺人事件』で明智小五郎の台詞に”外国の探偵小説”という表現が存在しているように、このときには”探偵小説”という表現が定着していたと思われます。一般的に”探偵小説”の名付け親は甲賀三郎(春田能為/1893.10.05-1945.02.14)だと聞いたことはありますが、連載1話目の1899年4月16日時点では甲賀は満5歳。おそらく”探偵小説”という呼びかたを定着させたのは甲賀である一方、最初に用いたのは別の人物ではなかろうか……『ルーモルグの人殺し』から『血染の壁』まで、およそ干支1周分――この期間が鍵を握るのではないか、と考えました。
本来であれば、ここからシーラカンス探しが盛り上がるべきところなのですが……。

何ということでしょう……わたしの無知よって、『血染の壁』を連載した無名氏さすがにどちら様ですか案件に関心が奪われてしまいました。

見えないものを見ようとして、今回は望遠鏡は不向きなので、テクストを覗き込みました。ハイ。
『血染の壁』は1899年4月16日-1899年7月16日の連載期間で、9回の休載(5月25日、6月16日、6月21日、7月1日、7月2日、7月8日、7月11日、7月12日、7月14日)、ナンバリングのずれと修正(5月9日・二十四→二十五、5月16日・三十二、5月17日・三十二、5月24日・三十九→四十)が確認できます。
1899年4月15日に予告として、
〈当代の才筆家として有名なる棒作家が特にわが社の為めに探偵小説に筆を染め経営数月漸くにして成りたるもの則ち左の一編なり、其の最新の学理を応用して人生の一大陰秘を摘發する所既に尋常一様の小説に非ず事存情細かに筆亦之に適ふ、作者は切に其実質を以て世に問はんとするもの我社ひとり其聲を大にして予め世に誇るに忍びずただ謹んで読者の愛読批判を待たんとす   探偵小説 血染の壁 無名氏〉
1899年7月16日に掲載された最終話の後には、
〈探偵小説「血染の壁」は大喝采の中に結末を告げたり次号よりは某大家が変名の下に隠れて特に寄稿されたる左の新小説を掲ぐべし本社は予め其の聲を大にして作者の秘を暴くの愚を為さず唯だ其実質に就て倍旧の御愛読むらんを祈る〉

これらを踏まえて。

やはり当時も居たのでしょうね、わたしみたいに「作者の秘を暴くの愚」をしちゃった人。わかりますよ、わかります。楽しいですよね。知りたいですよね。特定できずとも、せめて輪郭は。

探偵役と謎で開催したMysteryExhibition1では第1部門:短編、第2部門:指定文使用、第3部門:名探偵創造についてすべての選考会が完了するまでは作者を伏せてました。わたしの意図がうまく伝わらなかった部分もあり苦戦したところもありましたが、文学やら文章やら読者の自由があってこそ面白い分野だという認識になりました。

何が言いたいかといいますと、やってみなければわからないことがあるという、ただそれだけです。
毎日新聞という名のとおり毎日印刷される新聞なので、自然と掲載も毎日です。しかしながら実際にやってみると、週1連載ですらなかなか狂暴です。およそ3ヶ月で83話分を載せるなら、事前準備を整えていなければ難しいのではないか。毎日連載ゆえに毎日1話ずつ書いていくのではなく、あるていど纏まりを持たせて整えていく方式をとるのではないかと考えずにはいられません。6月後半戦から休載が続くようになったのは、体調不良や世情などによって最終調整の時間を取るのが難しくなったため止むを得ず休載したのかなとか、横濱○○所(読めない(-_-;)、雰囲気は”縦覧”にみえるけれどネット検索したら所在と合うのは”活版”みたい)が1899年6月29日時点では「横濱市本町六丁目八十二番地」、1899年6月30日時点では「横濱市本町六丁目二十八番地」だと記載されているのは活版印刷だしこのときで所在が切り替わっていたから実際に所在を移したと仮定できてそれに伴うアタフタで休載しのかなとか。
連載期間の他ページからも”無名”を名乗る翻訳者の人物像をどうにか探ろうとしていたのですが、なかなか推論が立てられませんでした。とはいえ、ここで諦めていたらそもそも気になっていないのでね。もう少し粘りました。
しばらくウダウダして漸く「そういえば当時の新聞文化を知らない」と気がつきまして、連載前の新聞の内容を確認しました。

こちらの毎日新聞(横浜毎日新聞系列)では、1896年9月1日から小説や講談がサブタイトルやナンバリングとともに1、2作品ほど連載されるようになったのが確認できました。1897年3月14日には社告にて「本日以降の毎日新聞は8ページ以上にしたうえで、みんな読みやすいように総フリガナを付けた小説や講談を載せるよ! もちろん経済界や政治界だけでなく市井のこともしっかり載せるから宜しくね!」と宣言されています。

社告原文

ちなみに『血染の壁』は、当日2作品目として連載されており、特に同枠にて
1897年3月14日-1897年6月4日 『蠣殻町かきからちょう血雨ちのあめ
1897年6月6日-1897年10月5日 『兜町かぶとちょう小夜嵐さよあらし
1897年10月6日-1898年2月15日『三輪みのわ怪火あやしび
1898年2月16日-1898年8月2日 『水上美人すいじょうびじん
この4作品は作者が名乗っていないうえ”探偵賽話”と銘打たれて連載されていらっしゃいました。
その後、
1898年8月3日-1898年10月20日_”講談”_一龍斎文車・講演/今村次郎・速記_『名君膝栗毛めいくんひざくりげ
1898年10月21日-1898月12月21日_”維新賽譚”_微笑小史過_『長州征伐ちようしゆうせいばつ
1898年12月22日-1898月4月15日_”享保賽譚”_『はな春日野かすがの
こちらの3作品を経て、お待ちかねの”探偵小説”『血染ちぞめかべ』が掲載に至ります。

そうすると、突然「よし! コナン・ドイル『A Study in Scarlet(緋色の研究)』を良い感じに邦訳して新聞の連載小説として載せよう!」と決定されたというよりも「なんだか探偵する話って人気? なんか去年くらいに英国でもそういう人気の小説が発表されていなかったかな……ああ、そうそう、コナン・ドイル。これ邦訳するか。せっかくだから日本人に合わせて舞台とか人物とかも合わせておくか? 誰か書いてくれないかなー。あっ、そういえばあの先生なら協力してくれるかもしれないよね」このような文脈が見えてくるような見えてこないような、良い感じに催眠術にかかれた気分ですね。
テクスト主義者の感覚ですが、存在していても見えていなかった文脈に気がつけると達成感を覚えるものです。いとをかし。
化石なのか。琥珀なのか。シーラカンスなのか。本案件が果たしていずれかに当てはまるのか、当てはまらないのか。よくわかりませんが、これにて、『血染の壁』を連載した無名氏さすがにどちら様ですか案件は終幕、シーラカンス探しに戻ります。



ミステリを研究しようと思い立って、早数年。一次資料探しに終わりが見えませんが、達成感を覚えるたびに疑問や気力が湧いてくるもののようです。
もはやミステリ中毒。用法用量をお守りする努力をして参りましょう。

おあとがよろしいようで。


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